それから二人で抱き合って、いろんな話をした。
ねえ、この部屋散らかってるね。いつもこんななの。
・・・だいたいこんなだけど、今は特別だ。これを書き始めてから忙しくて。会社行って学校行って、家に帰ったらパソコンに向かって。夜も寝てないしメシも食ってない。毎日宅配ピザ食ってる。灰皿も、見てよほら。
なんだか締め切り間際の漫画家みたいだね。
そうだな。
ふふ。「締め切り間際の漫画家みたい」って、どうせまた日記に書くんでしょ。
そうかもな。
もう・・・あたしのメールの文章とかセリフ、かなりそのまま引用されてるんだもん。これはあなただけのものじゃないよ。共同作品。ね、きのう焼肉屋であたしが言ったセリフ、文章にするなら句読点をつけないでね。あのセリフ、あたし下書きして練習したの。なんて言おうか考えて紙に書いてみた。でもなんか悲しくて悲しくてなんでか句読点なんかつける気分じゃなかったの。
・・・わかった。メモっとく。
少し笑った。
それから寝転がって二人の小説の続きを考えた。
ね、ふたりで駆け落ちするってのは?
・・・ありきたりすぎて美しくないな。それよりどうだろう、みんなで飲みに行ったあとにふたりで会うために電車に乗らずにぼくが待ってて、電話がかかってきて、第3話が終わる。で、だれだろうと思ったら別の女の人からなの。
やめてよ!韓流ドラマじゃないんだから!
あとは、そうだな、4月7日に学費の支払いがあるじゃん。俺、金がないから借りるの。
・・・それで?
・・・・トンズラする。
美しくないよっ!そういうの書くはエイプリルフールだけにしてよね!
彼女は少しふくれて、むこうを向いた。
ぼくは彼女のうなじを噛んで、続けた。
そうだな、美しくいこう。こういうとき、結ばれない運命の主人公は悲劇の死を遂げるのである。
あたしたち、殺されちゃうの?
そうだな、最後は美しく殺してあげるよ。
彼女はぼくのほうを向いて、生きてる間は楽しくせつなく一緒にいてね、と言った。
ぼくらは少し泣いた。
とつぜん携帯の着信音が鳴った。ウィンドウを見ると、会社からだった。時間はとっくに10時を回っていた。
そのまま着信音が鳴り終わるのを待って、ぼくは電源を切った。ずいぶんと腹が減っていることに気づいた。
「思いっきり、無断欠勤しちゃったな。そっちの家のほうは、大丈夫なの?」ぼくは聞いた。
「うん、ゆうべダンナ、出張だから」彼女が目を伏せて答えた。
ぼくはまずいことを聞いたと思い、慌てて話題をそらした。「ダンナって字、漢字でどう書くんだっけ」
彼女は律儀に宙にひとさし指で「旦那」と書きかけて、ぼくは途中でその指をつかんでさえぎった。短い爪で、包丁傷がいくつもあって、荒れて、とてもきれいな指だった。
ぼくらはキスをした。
ベッドから起きあがり、彼女が「今日は一日お休みということにして、どこかに行こう」と言った。少し考えて、ぼくは「プラネタリウムに行こう」と提案した。「やっぱりそう思う?」と彼女が答えて、ふたりで笑った。
ふたりが会ったことがあるかもしれない五島プラネタリウムが閉館してしまったのは残念だったが、PCをつけて検索すると、お台場にある科学未来館にプラネタリウムがあることがわかった。
ぼさぼさの髪のままふたりで家を出て、駅前のカフェで遅い朝食をとり、電車に乗ってぼくらはお台場に向かった。
乗り換えの新橋で、「ねえ、昔の会社の日記に出てくるS橋って、新橋だよね、水道橋じゃないよね」と彼女が聞いた。「あたしも会社員だったころ、新橋で働いてたことがあるんだよ。会ったことがあるかもしれないね」と言った。たとえそうだとしても会ったことがあるはずもないのだけれど、ぼくらはそうやってお互いの接点を探した。
科学未来館に着くと、運良くプラネタリウムの上映時間は間近だった。プラネタリウムに入ると、ぼくらは子どものころに戻ったようにはしゃいだ。
「五島プラネタリウムはさ、地平線のところに実際に渋谷から見た建物のシルエットの絵があったよな。東京タワーとか」
「そうそう、でもできた当初の絵だから古くて、ビルとかやたら少ないのよ。それでなぜか五重の塔があるの。どこやねん、て感じ」
「外の展示も好きだったな。ほらさそり座のところで、さそりの標本があった」
「あった」
「月の満ち欠けの仕組みがわかる模型とか」
「あった。きっとあたしたち、あそこで会ってるよね」
会ったこともあるはずもないのだけれど、夢中でお互いの接点を探した。上映が始まると、ゆうべ夜更かししていたぼくらはすぐに寝てしまった。ふたりで何かの夢を見た。
プラネタリウムが終わり、館内の展示を見て回った。館内は吹き抜けになっており、上に巨大な球体の模型があった。球面には小さな液晶ディスプレイが敷き詰められていて、そこに映像が映って地球を形づくるようになっていた。
一階にはカウチがあり、寝そべってその地球を眺めることができた。なかなかしゃれた展示だ。ぼくらはそこに寝そべって、いつまでもその地球を眺めた。
ときどき映像が切り替わって、月になった。「霧の浅瀬」「コペルニクス」「しめりの海」ぼくらは指を指して月の地名を言いあった。もちろんこれまで見たなかで一番大きな月で、それはいつまでもどこも欠けることがなかった。
昼過ぎになり、館内のウェンディーズで食事をとった。
「今日は一日お休みとはいっても、学校にはいかないとね」と彼女が言った。「あたし学内で一番楽しんでまじめに授業受けてる自信ある。実習でやった料理は、全部家で復習してるんだから。いつかお店で出すんだから」
「いや、それを言うなら一番は俺だよ、日記に書いてあっただろ」
「じゃあ、トップタイということで」
「トップタイということで。店の料理はいっしょに作ればいい」
ふたりで笑った。
科学未来館を出ると、広場に噴水があった。噴水の脇を通るときに、いたずらっぽく彼女がぼくを噴水に向かってぐいぐいと押した。
「この小説の終わりは、噴水に飛び込んで無理心中ということで」
「浅いな」
「浅いね」
いつまでも笑った。
学校の時間までまだ少しあったから、いったんお互いに家に帰って身支度してから学校に行こうかとぼくが言うと、もう少しで24時間いっしょにいられるから帰りたくない、と彼女は言った。
ぼくらは少し早めに恵比寿駅に着いて、喫茶店に入った。
あ、と彼女が、ふとぼくの左耳を指さした。
「ピアス、ない」
耳に手をやると、いつの間にかぼくの左耳のピアスがなくなっていた。ゆうべ彼女と抱き合っているうちに、落ちてしまったのだろうか。
「たぶんベッドに転がってるよ、あとで探しとく」
「いいよ、新しいの買いに行こう。買ってあげる」
そうしてぼくらは喫茶店を出て、裏路地の雑貨屋に行った。ふたりでしばらく見て、ぼくは小さな赤い石のピアスが気に入った。
レジに行くと、店員は「こちらのピアスは片方売りできないんですよ」と申し訳なさそうに言った。「まあいいか、2つで1200円だもんね」と彼女は言い、ぼくにそのピアスをプレゼントしてくれた。
店を出て、タコ公園に向かった。時計を見ると、6時すぎだった。「きのうの実習からだから、これで24時間だね」と彼女がうれしそうに言った。
タコの足に腰かけて、彼女がぼくにピアスをつけてくれた。彼女はそれがとてもぼくに似合うと言ってくれた。
「なんというのかしら、うーん。君の耳の中の赤いピアスは、まるで琥珀に捉えられた虫のようである。・・・なんか違うな」
「無理して小説風にしなくてもいいんだよ」
ぼくは笑って彼女を抱きしめた。ぼくは雑貨屋で内緒で買っていたネックレスを、彼女の首の後ろで取り出してその細い首にまわした。手の中に隠し持っていたのでチェーンが絡まっていて、彼女の首が少し絞まり、彼女はちょっと顔をしかめた。
顔文字と同じだ、とぼくは思った。
絡まっていたネックレスのチェーンをほどき、小さな銀の星の飾りを見ると、彼女はまた顔文字の顔になって笑った。「星だ」と彼女がつぶやき、ぼくらはキスをした。
すると彼女は思いついたように「ちょっと待ってて」と言い、立ち上がると突然どこかに走っていった。しばらくするとコンビニの袋を提げて戻ってきて、こう言った。
「あたしも、ピアス、開ける。同じとこに。同じものを」
そうして彼女は袋から氷を取り出して、自分の耳に当てた。耳が赤くなるまで冷やすと、カバンから安全ピンを取り出して、鏡も見ずにぼくの左耳を見て、ぼくと同じところにそのピンを突き刺した。ピンを抜くと、もう片方のピアスをその穴に通した。
彼女の形のいい左耳から、少し血がにじんだ。ぼくは舌でその血を舐めた。鉄の味がした。
気持ちいい、と彼女はつぶやき、胸の間で銀の星が揺れた。
第6話「半月」へ