一週間が終わる。学校がなくなると、ぼくらの間には大きな壁ができる。
「好きで好きで どうしよう」と、土曜日に彼女からメールがきた。
ぼくらは、どうしたらいいかわからない。
月曜日になり、学校が始まる。月曜日は調理実習なのでいつも定時に会社をあがって学校に向かうが、今日は原付ではなくて電車だったのでいつもより少し遅れて学校に着いた。丸イスを持って慌てて教卓近くに行ったが、一番前の見やすい場所はすでに埋まっており、しかたなくぼくは2列目にイスを置いて座り黒板を写し始めた。
しばらくすると、ぼくの右ななめ前に場所取りをしてあったイスに、恥ずかしそうに彼女がちょこんと座り、ぼくのほうは見ずにノートを取り始めた。授業のときにこんなに近くに彼女を見るのは初めてなのでぼくは少しうれしくなって、急いでノートを取り終えると彼女の後ろ姿を眺めた。
女の子は実習のときには髪の毛をまとめないといけない。肩にかからないくらいの長さの髪の彼女は、なんだか少し無理やりな感じで頭の後ろで黒い髪をひとつに束ねている。
ぼくのすぐ目の前には、彼女の形のいい小さな耳があらわになっている。いまどきピアスをしていない、小さな耳だ。ぼくらがまだおでこをぶつけ合う前、みんなで飲みに行ったときに、彼女がぼくの左耳を指さして、「片方だけピアスしてる男の人って、なんかヤラしくて好き。でも実習のときにいちいち外すの、めんどくさくない?」と言っていたのを思い出した。
そうして、白いうなじ。ぼくは青い静脈が透けて見えるくらいまで彼女のうなじを眺めた。彼女がちっともこっちを向かないので、ぼくはがまんできず携帯を取り出してメールを打った。
「うなじ 噛みついてもいい?」
数秒後にバイブの音が低く響き、びくっと彼女が身を起こしてポケットの携帯を取り出した。教卓の下で携帯を見ると、彼女はそのまま席を立って人をかきわけて教室を出た。
1分後に、ぼくの携帯が震えた。
「やめてよ 濡れちゃうじゃない」
ぼくは笑いをかみ殺すのに必死だった。彼女はそういう、かわいらしい下ネタで人を笑わせるのが好きなのだ。
彼女が戻ってきて、またぼくの右ななめ前に座った。ぼくはちょっと考えて、返信した。
「もう遅いだろ」
数秒後にまたびくっと彼女の肩が震え、そのまま30秒くらいしてから彼女は携帯を取り出し、画面を見て、そして少し赤く染まったうなじが、ぼくのほうを見ないまま小さくうなづいた。
こうして、ぼくらは頭の中だけで交わる。
でもぼくらに許されるのは、そこまでだった。ぼくにはそれがわかっていた。
その日の夜、またみんなで飲みに行くことになった。仲間の一人の誕生日だった。前からの予定だったので、ぼくは原付ではなく電車で来ていた。
学校が終わるとみんなでいつものように白木屋に向かい、いつものような席に通された。ぼくらがおでこをぶつけ合う前から、みんなで飲みに行くときにもいつもぼくらはなんとなく隣の席に座っていた。でも今日は、席に通されるときにぼくはわざとトイレに行ってタイミングをずらした。
少したって戻ると、みんなは座っており、もう生ビールが6つテーブルに並んでおり、ぼくは彼女のななめ前の席に腰をおろした。
これでいいんだ。ぼくらは、あまり近くにいてはいけない。
「かんぱい」と誰かが言い、ぼくたちはジョッキを合わせた。
テーブルの真ん中に立てられたメニューは、二人の間の大きな壁に見えた。ぼくは下を向いたままジョッキを差し出しながら、その壁に向かってうなづいた。
これでいいんだ。もう、二人きりになるのはよそう。
ぼくたちはいつものように騒いで飲んだ。誕生日のもっさんに、「自分で焼いてください」とみんなで買ったケーキ型をプレゼントして笑った。
でもぼくはみんなの中でどう振る舞ったらよいかわからなくて、なんだか酒が進まなかった。彼女もそうみたいだった。トイレに立った彼女から、「今日は飲みませんねえ」とメールがきた。
彼女が席に戻ると入れ替わりにぼくもトイレに立ち、「酔いたいけどこの席酔えんな」と返信した。
そしてぼくが席に戻ると、彼女はぼくの隣の席に座っていた。「あそこ風が入ってきて寒いの」と、だれに言うでもなく、テーブルの真ん中の壁に向かって彼女はつぶやいた。
すぐにテーブルの下で、どちらからともなくぼくらの指がからんだ。
ぼくらは決して目を合わせず、お互いの指だけを頼りにひっそりとその場所を共有した。
終電の時間が近くなりぼくたちは店を出て、みんなで恵比寿駅に向かった。恵比寿銀座の看板の上にぼくは無意識に月を探したが、曇っているからか、建物の陰に隠れているからか、月は見つからなかった。日比谷線に乗るぼくはひとり、JRの入り口前でみんなと別れた。
地下鉄の入り口についたけれど階段を下りず、ぼくはアルコールでふらふら回る視界でアトレに吸い込まれていく長いエスカレーターを見ていた。
ほら、携帯が鳴った。
二人きりになるのはよそうなんて決意は、こうしてもろくも崩れていくものだ。
第4話 「二人だけの秘密」へ