いよいよ今日からおじちゃんのところで、社員として店を作っていく作業が始まります。
といってもやることはこれまでと同じ。学校の帰りにおじちゃんの店に寄ります。だいたい店が落ち着いて客がはけた時間帯なので、おじちゃん・おばちゃんと3人で鍋でもつつきながら、このダシはうまい、やっぱりつくねはいい、とか言いながら店の計画を話すというのがこのところの日課になっています。
ところが今日は、いよいよ「初出勤」ということでこれまで以上におじちゃんの気合も入っていました。鍋を早々に切り上げ、おじちゃんが奥から何やらぶ厚い封筒やらファイルやらを持ってきました。
それらを一つ一つ取り出しながら、おじちゃんが説明してくれます。
「これが、11日に結んだこの店の賃貸借契約書のコピー。まず空いているテナントを見つけて、オーナーに申込書を謄本付きで提出して、信用調査をされて、それでOKになって契約するわけだよ。ここに割印。契約書はもちろん『警察沙汰になったら立ち退きを要求できる』なんていってとにかくオーナーに有利にできているわけだけど、一字一句チェックして著しく不利なことなんかがないかよく確かめておかないといけないんだ」
そしていくつかの工事見積書。相見積もりをとって比較して、空調はなじみの電気会社に頼んだらこれだけ安くできることになって、それでこれだけの金額で決まって、内装屋に手付金を払って工事がスタートする。内装屋が決まったら電気屋・厨房機器メーカーなど内装に関わる各業者を集めて打ち合わせをし、工事のだいたいの日程を決める。
そうして、これまでやってきたこととこれからやることと、店を作るまでに必要な過程や注意事項をおじちゃんは詳しく説明してくれました。契約書・見積書なんかのコピーも全部くれました。
そこに書いてある金額は、ぼくにはちょっと想像もつかない額。いわばそれらはシミュレーションゲームの取扱説明書です。でも、本当に店ができるまでの一部始終に立ち合うことができるんだという興奮と、それらを余すところなく伝えてくれようとするおじちゃんの計らいに、ぼくは身が震えるような思いでただうなづいて聞いていました。
それからおじちゃんは手作りの資料を取り出して店のコンセプトを説明しました。
「少子高齢化が進行し、国家財政が破綻の危機を迎え、サラリーマン増税止むなしの時代背景化において・・・」こういうことを話し始めるとおじちゃんは止まりません。要はサイフの紐がますます固くなるご時世において安価で良質のものを提供する店にしよう、ということだそうです。いまやっている3階の店は学生が集まって大騒ぎする店なので、こんどの2階の店は少し趣を変えて落ち着いた店にしたいのだと言います。3階に来ていた学生が社会人になって戻ってくる店、「東京砂漠」の中で羽を休めて明日への活力を養うような店。奇をてらわず旬のものを田舎風の素朴な味付けで出し、足りない何かを思い出せるような店。そんなコンセプトをおじちゃんは熱く語りました。
思えばぼくも、学生のころ3階の店で騒いでおり、大きくなってもまた戻ってきていたクチです。3階でさばききれない団体客を回すという狙いも、卒業して大人になって戻ってきた層をターゲットにするというコンセプトも、現実味のあるもののように思えます。おじちゃんの資料は手書きですがなかなか立派で、しかも手書きのくせに「5W2H」でポイントを押さえて書いてあったりして、説得力があります。さすが、弱肉強食のこの業界の中で長いこと生き残ってきただけのことはあるとぼくは思いました。彼はぼくに単なるおもちゃを与えようとしてくれているわけではなく、ばっちり勝ちにいっているのです。勝算があるからやるのです。「将来自分の店をやるなら、今から勝ち癖をつけておいてほしいんだ」と彼は言います。うう、やれんのか。しかし闘う前から負けること考えるヤツいるかッなのです。
そう、ここでシュミレーションしておいて、将来のために勝ち方を学んでほしい。それが彼がぼくをパートナーに選んだ理由なのです。
それはおばちゃんに対しても同じです。2階の店はぼくとおばちゃんが二人で回すことになります。料理も経理も2人でやります。おじちゃんはこれまでに得た経験やノウハウを、2階の店作りを通してぼくらに全て伝えようとしているのです。
「生きた教科書だね」とおばちゃんも楽しそうに言いました。
それから話は店の名前について。
おじちゃんはとっくに店の名前を考えていて、もう看板屋に色校まで作らせていました。それどころか法務局に行って近くに同じ商号がないかまで確認していました。
その名前とデザインは・・・正直ぼくにはダサ・・いや古風すぎるかなあと思えました。「うーん、古風すぎるというか・・・ここをひらがなにしてみるとかしたらちょっと洗練された感じになるんじゃない?」とかいちおう抵抗してみました。
が、おじちゃんは「近江俊郎の曲のタイトルにあってねえ、この曲から取ったんだよ、ちょっとおばちゃん、この曲流してよ」。
3階の店にはカラオケがあるのですが、その曲がカラオケで流れました。「この曲はむかし大ヒットしてねえ、この曲がおじちゃん大好きでねえ」と目を細めて聴き入っています。
「この店名は、実はおじちゃんが最初に店をやろうとしたときに付けようと思った名前なんだよ。でもそのときは、なんか田舎臭すぎるかなあと思ってやめたんだ」
それを聞いて、ぼくはその店名に反対する気はちっともなくなりました。
ダサいけど、この店はやっぱりおじちゃんの夢なんだ。彼が今の店を開くときにやり残したこともあったはず。カラオケがあって安い料金で大騒ぎできる店という今の営業スタイルは成功したけれど、もう少し落ち着いた店できちんとした料理を出したかったという思いもあったのだろう。やり残したこと、これからやりたいこと、そういうおじちゃんの思いが2階の店には込められているんだ。
ぼくは、ただの雇われ店長。ぼくがいまやるべきことは、おじちゃんの夢を手助けすること。微力ながら。そう思うと、とたんにその店名と看板も温かみのあるものに思えてきます。
「どういう名前がいいと思う?」と、いちおう聞かれはしました。
「いや、この店はおじちゃんの店なんだから、おじちゃんがいいと思う名前がいいんだと思う。ぼくにはぼくの考える店の名前があるけれど、それは自分の店に取っておくよ」と答えました。
ということで、店名も決定です。
ここで公開することはしません。もちろん個人的にご連絡いただければ場所も名前もお教えしますしご来店は大歓迎です。場所柄、前の会社でお世話になった人にも来てもらいたいし、SIBCの練習会後の2次会なんかでも使ってほしいです。ていうか使え。でも、このサイトを利用してお店の宣伝をすることは、やめておこうと思います。
ホームページを見た人が家に遊びに来て、毎日がオフ会、毎日がホームパーティー。その営業形態は、将来独立して自分の店を出すときのために、ぼく自身の夢のために、取っておくのです。
そうしてレイアウトについて。
内装屋は決まりましたが、まだ図面は叩き台の段階です。いくつかある案から絞って、細部を詰めていかないといけません。
3人で空っぽの2階のテナントに入って、3階の机を運び込んで、実際に図面に沿ってレイアウトしてどの案がいいかを検討しました。レストランの社長が言っていた「動線を考える」という工程です。
初めて入る2階。前には飲食店ではなくて洋服屋が入っていたところで、しかも立ち退きの際に「現状回復」といって全てとっぱらって出ていっています。3階と全く同じ箱のはずなのにだいぶ違って見えます。余計なものが何もなく飾り気のない蛍光灯だけの状態で、やけに明るく広く感じられました。
そこでみんなで机をあちこち置きかえて歩き回った結果、全席を座敷にして奥に2列を配置するという、コードネーム「プランB」がいちばんしっくりくるだろうということになりました。
最後に、ぼくは2階の全景を写真に撮りました。どの角度から撮っても、空っぽの部屋の全景を収めるのは難しいものです。写真だと、どうも小さく見えるのです。
全てがこれから始まる空の箱。これからぼくらの夢が形になっていくのだから、そりゃあ明るく広く感じられるはずです。
これで店の名前も決まった、レイアウトも決まった。
工事が31日から始まり、ぼくらの店は12月1日のオープンを目指します!

リアル店長としてのぼくの最初の仕事のひとつは「挨拶回り」になります。個人の引越しと同じで、同じビルの他の階に入っているテナントに対し「こんど2階で店をやることになりまして、工事やらなんやらでお騒がせしますが、これからひとつよろしく」と言って回ります。
ぼくらの店のビルは、上も下も飲食店。右も左も飲食店です。飲食店どうしの近所づき合いというのは意外とセンシティブな一面もあるようで、例えば他の店で酔った客が帰りに隣の店の前で騒げば、隣の店の店主にとっては迷惑です。ましてや自分のところが閑古鳥なのに隣ばっかり繁盛していたらおもしろくなく、半ば言いがかりともいえるクレームに発展するなんてこともあるそうです。
今回おじちゃんが、すでに成功している3階の店の「2号店」という形ではなく、名前も門構えも異なる別の店として新店を出すことにしたのには、全く別の店を作ろうという攻めの姿勢だけでなく、そうした近隣のやっかみをかわそうという意図もあるのです。
ですから出店にあたっての挨拶回りは、オーナーであるおじちゃんではなく「店長」であるぼくが一人で行うことになります!
ということで急遽、「店長」としての名刺を作ることにしました。工事は31日からなので、それまでに手配しないといけません。
ここはもちろん、ワカレミチが誇るデザイナー軍団のひとりであるやっしーに仕事を依頼することにしました。友人に作ってもらえるという話をおじちゃんにすると、好きなデザインでいいからとにかく急ぎで作ってほしいとOKを得ました。
数日前にやっしー宅へうかがい打ち合わせをしました。いちおう店の看板デザインの色校などを持っていったのですがぶっちゃけぼくは気に入っていないので、それは気にせず好き勝手にやろうということになりました。「枯れた感じ」「どことなくワカレミチ色」「安定感がありすぎず」「シンメトリーじゃなく」と謎めいたオーダーをするぼくに、やっしーも「余白の美」「アンシメトリー」と謎めいたメモをとります。
そしてやっしーがパソコンでデザインし、いくつかの校正の後に彼女の事務所のなじみの印刷会社に発注。本日完成ということで胸をときめかせて原付をすっとばして取りに行くと・・・。
すばらしい出来じゃありませんか!
もちろんここでは晒しませんが、店のコンセプトに合わせて派手すぎず、もの悲しい文字のフォントが全体の枯れた感じとあいまって、まるで昔の文学作品みたい。それでいて垢抜けない感じではなく、ワンポイントの色使いが洗練さを感じさせ、言ってみれば名作の復刻版の装丁みたい。
そして控えめながら燦然と輝く「店長」の文字。くぅ〜!
さっそく、印刷会社の近くに住むやっしーの家に行って完成品を一枚納品しました。ノンもごきげんです。
さて、記念すべき一枚目はどうしようか。ふと考えました。最初にやっしーに渡したのはデザイナーとして当然の権利であり、言ってみれば製造過程のうちみたいなものです。
最初の一枚は、ふつうにおじちゃんおばちゃんのところに持っていこうかと思ったのですが、ここでぼくは忘れている人がいるのに気づきます。
おじちゃんおばちゃんと「家族みたいなもんだ」とか言いながらやっていますが・・・ぼくにはリアル父親も母親も健在ですから!このまえ実家に帰ったのは2ヶ月くらい前で、「10月からレストランで働くことになる」という報告をしたっきりでした。
最初の一枚は、両親に渡そう。
そう思って、やっしーの家からもほど近い実家に、原付で向かいました。
うちの実家は、ぼくの家からも近くて原付で10分くらいなのですが、近いとかえって実家には寄り付かないもの。正確には、「近いとかえって」というのを言い訳にして、とにかくぼくは寄り付いていないのです。
電話もせずにいきなり家に行くと、台所にいた母親がぎょっとします。いつもぼくは何事も親に何の相談もなしに進め、万事決まってから「結婚します」とか「離婚します」とか「会社やめます」とか爆弾を落とします。ぼくが連絡もなく家に顔を出すのは、必ず何かの爆弾があるときなのです。
でも父さん母さん、今日は爆弾とはいってもいい知らせです。ひょんなことからお店をやることになりました!
ぼくが差し出した名刺を見た両親は、鳩が垂直落下雪崩式豆鉄砲をくらって「小川ァ〜!なんでオレを襲わせた〜!」と叫んでいるような表情をしていました。
「小川ァ〜!」と叫ぶかわりに母さんは、「ちょちょちょ、あーた、そんなこと言って誰も客こなかったらどうすんのよ!」。身も蓋もありませんね。いきなりそういうネガティブ発想だと子どもは育ちませんよ。あとそういうことはぼくじゃなくおじちゃんに言ってください。
「うーん、雇われ店長ってわけか、社員になるわけだから今までよりは安定するんだな。けどお前これから修行するって言ってたのにいきなりお店やるって、技術のほうは大丈夫なのか」と父さん。さすが頭脳明晰ですね。でもそういうこともおじちゃんに言ってください。
とまあ、半ば果たし状気味に両親に新しくできた名刺を渡し、降って湧いた方針転換について一方的に説明しました。
そして父さん母さん、12月1日にオープンです。その日はビルのオーナーなどを招いて内輪だけでプレオープンをする予定ですので、ぜひおこしください。
「ちょっとあーた、やだわよ居酒屋なんて、そうしょっちゅう行けないじゃないのよ、お客さんこなかったらどうすんのよ」とまだウダウダ言っている母を尻目に、父は「新しくプリンターを買ったがドライバがインストールできなくて、ネットで調べたら同じ症状で困っている人がたくさんいて」という話を始めたのでぼくも検討中の新しいノートPC購入の話で少し盛り上がり、さっさと実家を後にしました。
学校に行き、若先生にも名刺を渡しました。卒業するかしないかの問題もあり、クラスの人にはまだ内緒で進めているので詳しい話はできませんでしたが、彼も「おおっ」と受け取ってくれました。
学校のあと、今日は週に1度の休みをもらっていたのですが、店にも寄りました。名刺を渡すとおじちゃんおばちゃんも満面の笑みでした。
家に帰って、名刺入れを探しました。なにぶん長いこと使っていなかったのでなかなか見つかりませんでした。久しぶりに名刺入れと対面したときには、このうえない感慨がありました。
会社を辞めるとき、ぼくはこのサイトの最初に「じきに名刺を奪われる」と書きました。
名刺は、武器です。組織という大きな力の一部を借りる武器。1年半前、ぼくはそれを捨てることを選びました。名刺入れには昔の名刺は一枚も入っていませんでした。退職の日に、ぜんぶシュレッダーにかけてきました。
そのかわりに、名刺入れには退職の日に会社の人に配った「退職記念テレカ」の残りが数枚入っていました。
前の会社では辞める人がお菓子だのハンカチだのを配って歩く習慣があり、それじゃつまらないからということで、ぼくはオリジナルのテレホンカードを作って配ったのです!
当時ぼくはネットで印刷会社を探し、原版をいくつかの既存のデザインから選んでパワーポイントで好きなデザインを自分で作れば、1色ならかなり安く手軽に印刷できるところを見つけました。
が、それでも100枚で6万円!今から考えるとものすごいバカな出費です。でも当時は、会社を辞めて旅立つ自分への精一杯のはなむけのつもりでした。確かに、そのおバカな企画は「テレカなんていまどき使うか」というもっともなツッコミとともに、バカっぷりで大うけでした。
名刺入れを開け、久しぶりにその退職記念テレカを見ました。
現物をお持ちのリアル友人は、ぜひひっぱり出していっしょにごらんください。真っ赤な夕日のテレホンカードには、こう書いてあります。
この道を行けば
どうなるものか
危ぶむなかれ
危ぶめば道はなし
踏み出せば
その一足が道となり
その一足が道となる
迷わず行けよ
行けばわかるさ
そして、「2004/03/31」と退職の日付が書かれ、ぼくは「第一歩」と記していました。
久しぶりにそのテレカを見て、まぎれもなくあれが第一歩だったんだなあとぼくは思い出します。真っ赤な太陽の原版は、ふつうみんなは夕日と解釈するだろうけれど、当時のぼくには朝焼けに見えました。
その後ぼくは、パソコンで印刷して自分のニセ名刺を作ったりもしました。けどじきにリアルの知人に自分のサイトの宣伝をすることはやめ、名刺入れは持ち歩かなくなりました。
そしていま、「店長」と書かれた本物の名刺を名刺入れに入れる。
まだまだ雇われ店長だけど、あれから一歩進んだな。
踏み出せば、その一足が道となり、その一足が道となる。なった。これからも、きっとそうだろう。いずれ本当の、自分の店のリアル店長としての名刺を手にする日が、この道の先には続いているのだろう。
父さん母さん、その名刺はいちおう本物です。ぼくもやっと胸を張れるし、母さんも胸を張っていいのです。姉A情報によると、ぼくが会社を辞めたということを実家では、近所の人や親戚にもいまだに内緒にしているらしい。そんな、名古屋の嫁入りなみに世間体を気にする母で、とうぜん今でも飲食店をやるというぼくの選択をおそらく心からは応援していないのだろうけど、でも息子は自分の道を確実に進んでいるのです。
そして12月1日にはぜひおこしください。初めての、息子の料理をお召しあがりください。まだそれくらいしかできませんが、いずれ本当の親にとっても孝行息子になれればいいなと思っています。
これからの、仕事と学校のスケジュールについて。
卒業までの間に許される欠席日数は各課目5回まで。店がオープンする12月までの間は実際にお店に立つことはないので、従来どおりきちんと通って出席を稼ぎます。
12月は、さすがに学校には行けません。休んで店の立ち上げに専念します。でもラッキーなことに12月は冬休みやら創立記念日やらで授業自体が少ないので、1ヶ月まるまる休んでも課目ごとでは2〜3回の休みにしかなりません。
1月以降は、新年会シーズンが終われば客足も落ち着くことが予想されます。「ニッパチ」といって、2月と8月は飲食店が最もヒマな季節です。そこらでなんとかやりくりして、また学校に可能な限り通います。学校に行っている間のお店はおじちゃんに任せて、ぼくは放課後から朝まで店を受け持つことにします。
そして3月になればまた送別会シーズンで忙しくなってくるけれど、そのころには学校も終わり、それまでに欠席を5回に抑えられていればぼくは晴れて卒業となるわけです。
ぼくは正直なところ卒業にあまりこだわりはないのですが、おじちゃんのほうが超乗り気で、なんとしても両立するんだ!と言って最大限の協力を約束してくれています。ありがたいことです。
というわけで今は、学校が終わった後におじちゃんの店に行って客がはけた後の時間を利用してみんなで企画会議をしたりしています。
そして学校のない土日は、既存の店に入り研修です。新店オープンへ向けて店長(=ぼく)のトレーニングも急務となります。
ここで補足。
今ある3階のおじちゃんの店は、正確にはおじちゃんが経営する2つめの店です。向かいのビルにもう一軒、今のテナントよりさらに小さな11坪の店があります。今をさかのぼること27年前、そこに居酒屋を出したのがおじちゃんの第一歩でした。その店で10年ほど営業したところでおじちゃんが勝負に出て、家を売って保証金を用意して今の店を始めたのだそうです。そこでカラオケ付きの安いコースで若者をターゲットにするという店のコンセプトが大成功し、おじちゃんの主戦場は今の店に移りました。
今も1つ目の店は引き続き営業しており、成功した2つ目の店の営業スタイルを踏襲しています。メニューも店の作りも全く同じで、違うのは店名だけ。細い道をはさんだ向かいのビルなので、別の店というよりは別フロアといった位置づけです。
今はそこはおばちゃんの遠い親戚だかなんだかのおじさんが、一人で切り盛りしています。ぼくは昔おじちゃんの店でバイトしたことがあると書いたけれど、正確にはおじちゃんの店はおじちゃん・おばちゃんが二人でやっており、ぼくはその向かいのビルの店のほうで忙しい週末にホールの手伝いをしたことがあったのです。
おじちゃんが経営する店は今回のぼくの店で3店舗目になるわけです。向かいのおじさんの店も、おじちゃんのところで入りきらない客を回すことで十分に成り立っています。それでもなお入りきらないことがあるので2階に3店舗目を出すに至ったというわけです。ですから普通の開業と違い、最初からある程度客が入るメドは立っている。それはぼくらの大きな強みです。
3店舗目は、これまでとはターゲットもコンセプトもがらりと変えた店になる予定です。当然メニューも違います。でも立ち上げ当初のしばらくはやはり「別フロア」的な働きが主な役割になるわけで、既存店舗と同じコースを提供することもあるでしょう。それにおじちゃんが設計する新店のキッチンは既存店舗と基本的に同じ作りですから、それに慣れておく必要があります。
というわけでこの土日に、まずは客席数の少ない向かいのビルの店の厨房に入って既存の客をこなすところからぼくの研修が始まりました。
5時のオープンを前におじちゃんの店で食事をし、身支度をして向かいのビルに行きます。向かいのおじさんとは久々の対面です。ぼくもそこで飲んだことも数限りなくあり、何よりバイトもしていたので、同僚として再会することになった今回は感慨もひとしおです。
お店のほうは、実際にホールで働いたこともあるので勝手知ったるという感じだったのですが、いざキッチンに入ってみると・・・狭っ!バイトしていたのだからキッチンが狭いのは知っていましたが、初めて入ると尋常じゃなく狭い。ここで料理をするんですか!?
おじちゃんからは「狭さに慣れて動けるようになるのが、修行の最初だ」と言われていました。この厨房の狭さこそが、おじちゃんの既存店舗の大きな特徴の一つです。
飲食店には必ず客席と厨房があります。客席以上の客は入りません。もちろん厨房は広いほうが仕事はしやすいのですが、できる限り厨房スペースを削って客席を多く取らないと売上にはつながりません。11坪や14坪という小さな箱で可能な限り売上をあげるために、おじちゃんが苦心して設計したのが今の厨房なわけです。
それはまさに極限までムダを省いたデザイン・・・といったら聞こえはいいのですが、悪く言うと劇的ビフォーアフターのビフォーくらい劇的に狭いです。なんたって二人ではとうていすれ違えない。それどころか一人でも、真っすぐ前を向いては歩けない。作業台などを除いた厨房の横幅は30センチ余りしかなく、横歩きでないと移動できません。冷蔵庫の扉は最後まで開きません。フライパンを振ったり包丁を使うときには横を向きます。厨房というよりむしろ、ビルの隙間の荷物置き場のようなスペース。
しかし、それでも横を向けば料理が作れて横歩きをすれば通れるのですから、一人で簡単な料理を出すために必要十分な広さ、ということもいえます。おじちゃんによると、11坪のこの店ではあと10センチ厨房の幅を広く取っていたら客席を1列減らさざるを得なかったそうです。このうなぎの寝床のような厨房は、席数と作業効率がギリギリのところでアウフヘーベンしたレイアウトなわけです。
そこでおじさんに、今の店の厨房の作業の流れをレクチャーしてもらいました。
あまり凝った料理はありません。主体のコースは、枝豆・ポテトフライ・から揚げ・野菜スティック・焼き鳥の5品。枝豆は茹でるだけだし、ポテトとから揚げは冷凍食品を揚げるだけです。野菜スティックは切るだけ。(横になって。)焼き鳥は鶏肉を(横になって)切って串に刺し、タレをつけて焼くだけです。作業自体はさほど難しくありません。
そして予約してやってくるコース客がほとんどなので予め下準備ができるし、いっぺんに作って大皿でどさっと出せばいいので楽といえば楽です。これならこの狭さでもなんとか対応できます。なるほど、よくできたシステムだなあと感心です。
ただ焼き鳥は、なかなか難しい。鶏を切るのも串を打つのもたいへんだし、25本とかいっぺんに焼いているとあっちの面倒を見ているうちにたちまちこっちが焦げてきます。気を抜くと自分の手も焦げます。
そして、めったに注文はないのですが、コース以外の単品も入ります。
「焼きそば一つ!」
大量の焼き鳥でアチチと四苦八苦しているところに、オーダーです。おじさんは、「キャベツとニンジンとタマネギと豚肉で、適当に」と言います。適当にって。
考えてみると、一皿のちゃんとした料理を一人で完成させ客に提供するというのは生まれて初めてかもしれません。実習でたくさん料理はつくった。友だちにふるまったこともある。でもお金を取ったことはありません。バイトのキッチン経験はあり、ハンバーガーとかフレンチフライとかオニオンリングとかはたくさん作りました。でもそれを料理と言ってよいのか。たとえば前のバイトでは、一皿のスパゲッティを自分で作ったわけではありません。前のバイトの社長からは「人様が汗水垂らして働いた金で食いに来る、その対価に見合ったものをお前が作れるのか?」と言われました。やれんのか?
といっても、やるしかない。腹をくくって、そのへんにある野菜と肉で適当に焼きそばを作ることにしました。焼きそばの作り方は、おじさんも「適当に」というくらいで特筆すべきことはありません。切って炒めてできあがりです。でも妙に緊張して、しかも横向きなので勝手が違い指を切ってしまいました。キャベツが少し赤く染まったような気もしますが、まあ加熱すれば大丈夫!とそのまま勢いで作って(おい)、皿盛りはそう、前のバイトでスパゲッティを作る人がやっていたように菜ばしで最後ひねるようにして中心にうずたかく盛ってみました。すると、おお!それらしくできた!社長、社長の元で修行していたことが役に立ちました!!
と感慨にふける間もなく、おじさんがうずたかく盛った焼きそばを手で平らにならし(ええ〜)、もみのりをパラパラと振りかけて客席へと持って行きました。
オープンキッチンという言葉の対極にあるようなクローズドな狭い厨房の中からは、客席の様子は一切わかりません。お客さんの反応はどうなのかな、あれでちゃんと商品になっているのかなとドキドキしながら焼き鳥を焼いていると・・・。
「焼きうどん一つ!」
おお!追加オーダーです。焼きそばの兄弟である焼きうどんですから、さっきのはあれでOKということですねお客さま!
ちょっとうれしかったです。ご注文ありがとうございます。
というわけでまあ、慣れればなんとかなるでしょうか。そんなに難しい料理はないので、ちょっと教わって土日の団体客にもある程度対応できるようになりました。キッチンのバイトは長いことしていなかったので少し不安もあったけど、学校の実習で調理場というスペースでの仕事に慣れていたこともあってか、特に問題はありませんでした。
今回は厨房だけですが、ホールはまあ前にやってたし、最近でもたくさんやってたし、そっちもなんとかなるかな。
もちろん新しい店はこれまでとは違うメニューを出すことになるわけで、まだメニューも決まっていないし、どうなることやらちっともわかりません。適当ってわけにはいかんのです。やれんのかなあ。
ただ少なくとも、新しい店の厨房は、11坪と14坪の違いでもう少し広く作るようなので、それだけは安心です。
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