学ぶべきこと

2005/10/23

事は急ピッチで進んでいます。テナントの賃貸契約を結んだのはもちろん、内装屋や看板屋を呼んで設計やデザインの見積もりをしてもらったりしています。
といっても基本的にはおじちゃん主導で進んでおり、ぼくはまだ社員ですらないので、学校の帰りに毎日店によってその日の進捗を聞かせてもらう程度。でもそれだけでも十分です。一軒の店を立ち上げる過程をそばで見て、実際に動かしてみて、帳簿なんかもしっかりつけて、その経験を自分の店に生かしてほしいとおじちゃんは言います。ぼくはまさに一軒の店をつくるシミュレーションゲームをプレイさせてもらっているのです。これ以上の勉強があるでしょうか。

しかし、勉強といえば、学校のことは正直かなり厳しい問題です。店の営業時間と夜間部の授業の時間は思いっきりかぶります。普通に考えれば、リアル店長をやりながら学校に通って卒業するというのはかなり困難な道になってしまいます。
おじちゃんは、できれば卒業してほしいと言います。これまでの投資を無駄にはしないほうがいいし、会社をやめてまで学校に通って勉強しようとしたぼくの志を応援してこそこの話が持ち上がったのだから、できれば当初の目標を達成してほしいと。なら卒業の時期を間違えないでおいてくれよってなもんですが(笑)、じゃあオープンを半年ずらすということができるはずもなく、ぼくは学校と店の両立という難しい道を否が応でも選ばざるをえないのです。

とにもかくにもポイントになってくるのは出席日数。1科目でも6回以上休めばアウトです。そのあたりはヨネスケ先生によく確認したほうがいいと、若先生から言われていました。
若先生というのは1年次の担任で、2年になってヨネスケ先生に担任が替わった後もホームルームにはやってきて、事実上の担任のような存在です。実直で生徒思いのいい先生で、みんなにも慕われています。こんなことになるなら初めにちゃんとしたハンドルネームを授けておけばよかったとぼくも後悔しています。
本当の担任であるヨネスケ先生は、夜間部の総責任者みたいなえらい人なのですが、それで忙しいというのを理由に担任らしい仕事は全くしません。生徒の名前も覚えないし、それどころか自分のクラスが何組なのかもたぶん知りません。そのくせに若先生がクラスの人に頼りにされている状況にやきもちをやいたり、たまにホームルームに来ると担任ヅラして同じ話ばかり長々としたり、誰も笑わないのにつまらない駄洒落を連発したり、あげく教壇の上で他の先生の悪口を言ったり、お気に入りの女子生徒をあからさまにえこひいきしたり、実習は雑談ばかりで身がなかったり、とにかく最悪です。
そんな人だから、クラスのだれも彼が担任だなんて認めていません。他の先生や助手さんからも鼻をつままれている存在のようで、「このクラスは担任だれ?」と聞かれて「ヨネスケ先生です」と答えると苦笑されます。
が、そうはいっても担任は担任。そしてかれがぼくの卒業を左右する要職にいることは事実です。彼の携帯にも電話をしました。
彼は出ずに留守電になり、「相談があるので折り返し電話をください」とメッセージを入れて待ちました。
折り返しが来ないので次の日また電話をし、また電話に出ず、また折り返しは来ず、けっきょく3日目にようやくつかまりました。

「オレ今週は忙しくていつも5時には学校出ちゃうからさ、その前なら時間とれるけど。それか紙に書いて机に置いといて」
授業の時間に学校にいなくて何が担任かとカチンときたのですが、しょうがない、彼が担任です。次の日の4時にアポを入れて、早めにレストランのバイトをあがり、学校に行きました。
職員室に顔を出すとヨネスケ先生はいません。若先生がいたので聞くと、ヨネスケ先生は隣の個室に席があるそうです。ヨネスケ先生のところに行ったことなんてなかったので知りませんでした。
隣の部屋に行くと、彼は接客中で「ああ4時のキミね、まだちょっと時間かかるからまずこれ書いてよ」とポイっとプリントを渡されました。受付のところで立ったまま書かされたのにもムカついたのですが、その内容がこれまた。個別の進路相談用の資料なんですが、クラス・名前のほかに「A:就職先が決まっている」「B:就職先は決まっていないが就職したいと思っている」とかの選択肢があります。ヨネスケ先生はその「D」を指差し、「ここんとこ書いてよ、ABCは昼間の生徒用の項目だからさ」と言います。
Dには、「卒業後に何をするか決まっていない」と書いてあります。その下に「学校推薦を希望する」「働きたい分野が決まっていない」などの選択肢があります。
いや、決まっていて、それでどうするかの相談なんですけど。
当然何も書くことはなく、クラスと名前だけ書いてぼけーっと突っ立っていました。
ヨネスケ先生は、どうやら卒業生の訪問を受けていたらしく、たぶん何かの紹介とかを依頼されていたのでしょう、菓子折りを渡されて「いやー先生は実にすばらしい、久しぶりにお会いしただけで私の方向性もぱーっと開けてきました」なんてあからさまなおべっかを使われてまんざらでもなさそうな顔をしています。
しばらくして先客が帰り、彼の机の隣に呼ばれました。
ぼくが渡した白紙のプリントを見て、彼は「なんだよオメエ、何も書いてないじゃないか」と言いました。
「卒業後に何をするか決まっていないわけじゃなくて、決まってるんで、それでご相談なんです」とムッとしてぼくは答えました。
そうして、お店を任せてもらうことになったというこれまでのいきさつを話し、どうしても欠席がちになるが卒業のためにはどんな可能性が考えられるかという話をようやく彼にしました。
ぼくが話し終えるより前に、彼は言いました。
「無理だな」
・・・ハァ?
「無理だな、諦めなさい。そういう話はよくあるんだ。だけど学校辞めてまで働いてもいいことなんて結局ないんだ。これまでもみんなそうなんだ」
・・・彼に相談すればなんとかなるかもしれないと、少しでも思った自分がバカでした。
「どうせ人数あわせだろ?店ができるけど人が足りないからやってくれって話だろ?だったら卒業して、それから入ればいいじゃないか。そのオーナーっていうのは他人だろ?もし卒業もせずに失敗して路頭に迷っても助けてくれないよ」
おじちゃんおばちゃんはぼくを家族のように信頼してくれてこの話を持ってきてくれたんだ、半年後じゃ一番大事なところは見れないんだと説明しようと思いましたが、やめました。どうせ時間の無駄だ。
「無理だということは、卒業するか、店をやるのを諦めるか、どっちかっていうことですか」とぼくは聞き返しました。言ったあとで、ちょっとぶっきらぼうな物言いかなと思いました。本当は出席のこととか休学のこととか昼間部への転籍のこととか公休のこととか、実現しないとしてもあらゆる可能性をいろいろ聞いておきたかったのです。でもこんな人間にいろいろ聞くのはやっぱり時間の無駄なので、ぼくはとっととファイナルアンサーを迫りました。
「そうだ、二つに一つだ」と彼は答えました。可能性は広がりませんでした。
席を立とうとすると、最後に彼が言いました。「途中までやったことだ、最後までやりなさい。あんたの人生の一大プロジェクトなんだから」
それを聞いて、一瞬ぼくは彼が何を言っているのかわかりませんでした。・・・いきなり心変わりして応援してくれるの?だって、「プロジェクト」って彼は言いました。プロジェクトっていったらお店をやること・・・だよね・・・?でも「最後までやりなさい」とか言ってるし・・・?
ぼくの頭の上のはてなマークを見て、彼はもう一度「その店は半年はだれかに任せて、卒業したらやんなさい」と言いました。「調理師免許を取るプロジェクトを最後までやりなさい」。

ああ、もうお話になんないな。
「お忙しいところすいませんでした」とだけ言って、彼の部屋を後にしました。ここまでお話にならないと、むしろすがすがしさすら感じます。
調理師免許を取るのが、プロジェクト?笑わせるな。
調理師免許は、金さえ払って授業に出席して調理師学校を卒業しさえすれば誰にでも取れるんだ。もっというと卒業しなくても、飲食店で2年働いて問題集を買ってきて一日勉強すれば取れる。
そして店を持つのには調理師免許が必要なわけではなく、保健所に行って一日講習を受けて「食品衛生責任者」という資格を取るだけでいい。
学校を卒業してもらえるのは、就職口のあっせんと卒業証書くらいだよ。学校推薦で就職したって路頭に迷うときは迷うし、そしたら卒業証書が助けてくれるわけじゃない。
ぼくにとってのプロジェクトは、自分の店をやることだ。


こんなところ、こっちから願い下げだと思いました。
前にも言ったけれど、調理師学校の存在意義にいまぼくは大きな疑問を感じています。座学の底が浅いという話や実習にコスト意識が欠けているという話をこの前はしましたが、3年になってますます座学はつまらない。教科書をただ読むだけの先生がほとんどで、試験前に「ここが出ます」というところだけ聞いていれば合格点を取れるのはもうわかりきっています。興味のある一部の授業をのぞいて基本的に寝ています。

実習でも、こんなことがありました。
3年になり席替えがあり、実習班のメンバーも変わりました。長い夏休み・秋休みが終わり、その間にぼくは現場で働き始め、久しぶりに実習をしてみるとぼくは「なんてヌルいんだろう」と感じました。なんせ、バイトしているレストランのランチは目が回るほど忙しく、そこでしごかれてから実習に入ると天国のようにのんびりと時が過ぎているのです。
だけど、実習でもやっぱり現場と同じように動かないといけないはずです。だからぼくは新しい班で、「できるだけスピーディーに仕事をしよう!」とみんなに呼びかけました。班員どうし声をかけあって、例えば「○○します」「○○しました」「○○ここに置いときます」「○○取ってきます」「○○がまだです」・・・そうやって、自分が何をしているか・何をしていないか・他の人は何をしたらいいかの情報を全員で共有しながら作業することで、仕事のミスや漏れを防ぎ二人で同じ仕事をするロスを省き効率のよい実習をしようじゃないかと提案したのです。それは常日頃レストランの仕事で叩き込まれていることで、実習もそれに近い雰囲気でやったらきっとハリがあって楽しいでしょう。
これまでの実習も、班長もやったし自然と命令係に近い立場でやっていましたが、それでも少しは遠慮があってここまであからさまにリーダーシップを取ることはしていませんでした。けれども現場の雰囲気と実習の雰囲気が余りに違うことに愕然として、それじゃいかんとぼくは思ったのです。
果たして、こうしてリーダーシップを前面に押し出してみると、うちの班はむちゃくちゃ早く実習が終わるようになりました。うちは5人班で、ほかは6人だから1人少ないのですが、いつもぶっちぎりに一番で片付けが終わります。それでいていいかげんに作っているわけではなく、料理のできもばっちり。ステーキのときは「この班の焼き加減が一番いい」と先生にもほめられました。
こうやってテキパキ仕事すると気持ちがいいなあと、いつも一番に実習室を後にしてぼくは満足でした。

が、ある日班員のひとりのボンスターくんが「班、替わらない?」とほかの班の人に漏らしているということを噂に聞きました。ボンスターとは、キッチンで働いている人ならわりとみんな知っているスチールウールの商品名。彼はボンスターのようなちりちり頭をしています。歳は31かなんかで、Tシャツを2枚重ね着するのはいいが下のシャツの袖がびろーんと伸びてはみだしていたり、裾がケミカルウォッシュのジーンズにインだったり、そのジーンズがものすごいハイウエストでハンプティダンプティみたいなフォルムを形成していたり、わりと強烈なファッションセンスの人です。そんなだからクラス内での位置づけも完全にザコキャラであり、彼がいまの班に不満を漏らしたとしても誰も相手にしないのですが、でもそれを伝え聞いてぼくは凹みました。凹んだというか、がっかりした。失望した。班を替わりたいという理由は言わなかったようですが、ぼくみたいな仕切り屋といっしょに働くのがうざいからだというのは間違いありません。
ぼくは少しでも現場に近い雰囲気で仕事をしようと提案したのに、それが嫌だと。そしたらお前はこの先現場に行ったらどうなる?そもそも気に入らないから班を替わるって、小学生の席替えじゃあるまいし。しかも、いずれ班員の耳に伝わるに決まってるのに不満を他の人に言っちゃう。31にもなって。おもしろおかしい文章にしたてあげてアップするくらいの生産性はないもんかね。
もちろん彼にそう言わせてしまったぼくは、リーダーシップの取り方というものについて大いに反省の余地ありです。でもボンスターの意識レベルの低さに、ぼくは失望しました。
けっきょく、通っている人もその程度のもんなんですよ。学校もそれを正すことはせず、どうやったら仕事が効率よくできるかとかいう調理技術うんぬん以前の基本について一切教えません。ちんたらやっても怒られやしません。けっきょく現場と実習はかけ離れているのです。もちろん調理師学校に通う目的は人それぞれで、飲食店で働きたいという人以外にもフードコーディネーターを目指す人も料理学校の先生を目指す人もいます。大きい声では言わないけど単なる花嫁修業の感覚で来ている人もいると思います。けど調理師学校である以上、実習は調理の現場を想定したものであるべきだし、そこで学ぶ者はそれを意識して動かなきゃ得るものなんて何もないと思うのです。
これじゃ調理師学校は、単なるお料理教室の延長ですよ。

そんなところ、辞めてもかまわないと思いました。学校で学ぶことには意味はあると今でも思う。けど通い続けて卒業すること自体には、卒業証書以上の意味はない。もっと大事な勉強ができるなら、辞めても別にかまわない。
ヨネスケ先生が「卒業するか店を諦めるかの二つに一つだ」と問題をシンプルにしてくれたので、ぼくも腹をくくりました。


5分足らずでヨネスケ先生の部屋を出て、隣の職員室に戻り若先生のところにもう一度行きました。さっき来たと思ったぼくがもう戻ってきたので、「あれ、ヨネスケ先生、いませんでしたか?」と意外そうに彼は言いました。
「いえ、いました。終わりました。話になりませんでした」とぼくは答えました。そして卒業するか店をやらないかのどっちかしかないと切り捨てられたことを報告しました。
ヨネスケ先生に相談しましょうと初めに言った彼も絶句して、しばらく言葉がありませんでした。ちょっと目が潤んでいるようにも見えました。ようやく「・・・とにかく、出席日数に注意して、なんとか欠席を5回までに抑えて、できることならみんなといっしょに卒業したほうがいいですよ」と彼は言葉をつなぎました。若先生は本当にいい人です。
けっきょく、できるだけ休まず通い、できるなら卒業するという王道以外には選択肢はありません。

その日の授業は、若先生の日本料理の実習でした。ヨネスケ先生とのアポでだいぶ早めに学校に行っていたので、ぼくは一番乗りで実習室に入り、最前列の真ん中に座りました。
そんなことがあった直後だったので若先生の実習を受けるのは少し気恥ずかしかったのですが、実習を受ける自分の姿勢に、これまで以上の真剣さがあるのをぼくは自分で感じました。
その日のメニューは鯖づくし。鯖をおろして味噌煮にし、アラは船場汁という吸い物にし、ついでに鯖の竜田揚げも作ります。鯖の旬は秋で、今が一番おいしい時期。竜田揚げも実は秋の食べ物なんだって。材料を紅葉に見立てて切り、片栗粉をまぶして白く揚げることで、京都の竜田川に流れる紅葉に初雪がうっすら被っている様子をイメージしたのが由来なんだそうな。
別の機会に詳しく話しますが、おじちゃんは「四季の味」というのを新しい店のメインコンセプトに据えようとしています。だとしたらこういう、旬の素材や食べ物についての知識は欠かせないよな。そしてアラを使う吸い物、これは原価率を抑えるには有効な手段だ。これまでもそうしてきたつもりだけど、実際に「自分で店をやる」という目標が現実のものになると、実習から学ぶことはいくらでもあります。

そして、デモンストレーションの終盤、船場汁の味付けのところで。塩と醤油で味を調えただしを若先生が小皿に取りました。そうして前の席に座っている人に味見をさせてくれるのは、実習ではよくあることです。
ぼくは前列の真ん中に座っていて、若先生が味付けについての解説をしていたのはそこから少し離れたガス台のところでした。彼は普通にガス台の前に座っている人に小皿を渡そうとして、ふと気づいてその手を止め、そしてぼくのほうを向き、まっすぐにその皿をぼくに渡しました。
彼が思いなおしてぼくのほうに向き直ったのは一瞬のことで、真ん中に座っていたぼくに味見の権利をくれるのもわりと自然な流れで、もちろんぼくがお店をやることはまだ誰も知らないから、彼がぼくを選んで味見をさせたというのはみんな気づいていないだろう。
だけどぼくにはわかりました。彼は、ぼくにその味を教えてくれようとしたのです。
それはとても繊細な味で、でもぼくはそれをしっかりと記憶に刻みました。

デモンストレーションが終わり班ごとの料理に入り、ぼくはもちろんビッシビシ指示をして超速に作業を進めたよ。
ただネギの網焼きをボンスターがとろ火でやっていて、「それじゃ何分経っても焼き色つかないよ」と言おうと思ったのですが、放っておきました。やる気がないなら、何分でもとろ火の前で立っていてもらったほうが、邪魔にならなくていい。


できることなら、卒業したい。
卒業証書には意味はない、でも学ぶ気になれば勉強すべきことはいくらでもある。万が一早々に欠席が膨らんで卒業できないことが確定しても、ドロップアウトせず都合のつく限りは勉強になる授業に出席し続けようと思います。

締め日

2005/10/25

昼のバイトは今日で終わりました。ドタバタと入ってドタバタと辞めさせてもらうことになり、終盤は働いていても心苦しいの一言だったのですが、いちおう了解を得て一定の期間の後に退職するという形です。その間に新しい社員の採用も進んだようで入れ替わりに新しい人がきて、穴を作らずに円満に辞めることができました。
本当はもっとここでも勉強したかったのですが。調理にはちっともたずさわれませんでした。でも短い間でしたが、単なる皿洗い・皿運びだけでなく今後の役に立つことも少しはのぞき見れたような気もします。

例えば、「レストランで提供している料理は案外普通のものだ」ということ。
もちろん、スパゲティが売りの店なので、その味付けには正体不明の液体やら粉やらの秘伝っぽいものが使われています。入って3日目くらいにはもう、それらを「同業者らしき人がカウンターからじっと見ていたりするから取り扱いに気をつけろ」と注意されました。
でもそれ以外は、意外と普通です。本を見ながら作ったりしています。本も業務用のいかついやつではなく、「プロが教える魚の捌き方」とか「家庭で再現 有名店の人気デザート」とかの普通の料理本です。店で出てくる料理といえば何か特別な技術やレシピが隠されているような気もするけれど、すし屋やそば屋やうなぎ屋でもなければ、案外ぼくらが趣味で家で作っているのと同じノリの部分もあるのです。
ということは、家の料理を金が取れる商品に買えるのは、盛り付けであったり雰囲気であったり効率的な仕入れであったりするともいえます。けっきょく秘伝の粉の正体には触れることもなく辞めることになりましたが、技術や経験の不足もコンセプト面の努力でなんとかカバーできる部分もあるのではないかということは短い間にも感じました。

いざこれから店を作るという立場になってみると、短期の小遣い稼ぎのつもりでちょっと前にやっていた大衆居酒屋のホールのバイトも、実はいい参考になったなあと振り返ることができます。
安い居酒屋ですがメニューは豊富にありました。その中でよく出るメニュー、めったに出ないメニューというのはものすごくはっきりしています。何を出すと客の反応がいいか、逆に反応が薄いかというのを生の反応として見ることができました。原価率はけっこう低いはずなのに人気があって反応もよいメニューというのを考えれば、自分で店をやるうえで大きな武器になることでしょう。

学校も、今日の日本料理の実習のテーマは「酒の肴」でした。もうおまえら寄ってたかってオレ様の後押しをしようというのかと。
講師は日本料理の重鎮のメモルナ先生。彼は料理がらみのトリビアを披露して「あなたがたそんなことも知らないんですか」とひとり悦に入り、「料理なんてものはそのときどきの状況によって変わるんだから授業のメモなんてするな」と延々と言い続け、心臓発作の死の淵からも不死鳥のように蘇ったという迷惑な人です。講義をノートに言語化することで身につけるプレイスタイルのぼくとは相当に相性が悪い。
今日も「アルコール除菌剤なんて使っちゃダメだ」とかの前近代的な教えを説くメモルナ先生の講義に相当イライラしたのですが、でもそれをぐっとこらえて先生を主人公にした短編小説を構想するほどに今のぼくには心の余裕がありました。その筋はこうです。
かつては日本料理の華々しい舞台で活躍した彼も、今では手元も震えデモンストレーションもおぼつかない。学校側も功労者である彼を邪険に扱うことはできず半年に一度は実習を任せてはいるが、助手や他の教師からも実は煙たがられている存在である。彼自身も自分の時代は終わったということはうすうす感じているのだが、自分が今日の学校の地位を築いたというプライドがそれを認めることを許さず、今日もつい助手や生徒をバカにする言動をして反感を高めてしまう。こんなはずじゃないのにと思う日々。ところがある日、彼は孫が初めて焼いた硬いクッキーを口にして、その柔らかい味に「もう、力を抜いてもいいんだ」ということを悟る。そして引退を決意するが、そのときになって初めて自分がいかに学校を、そして料理を愛していたかということを知る。そんな老兵のはかなくも切ない物語−。
とかそんなことはどうでもよく。
なんでも勉強になる、という話でした。
実習は、うちの班は1人がお休みで4人しかいませんでした。他の班より2人も少ないのに、これまたぶっちぎりで一番に終わりました。単純に考えて、6人班と比べてひとり1.5倍以上の仕事をしていることになります。
実習の後には試食があります。大げさにいうと、なんというかぼくらが作った料理には緊張感のようなものが反映されて締まった味になっているような気がします。ダラダラ作れば、きっとダラダラした味になってしまうのでしょう。料理には、作り手のテンションや思いがこもるもの、といったら言い過ぎでしょうか。

ぼくには技術もないし経験もない。けどそれをコンセプトでカバーしたり、思いをこめたりすることはできるかもしれません。
これまでの1年半で学んできた全てのことを生かして、これから新しい店を作っていくことになります。
ワカレミチの1年半に及んだ「明日はどっちだ」の章は終了。明日からはおじちゃんおばちゃんとともに社員としてひとつの店を作る「雇われ店長」の章がスタートします。

ホームテキスト全過去ログ>2005年10月B

  
ワカレミチ ホーム

ホーム コンセプト テキスト 自己紹介 掲示板
テキスト
店長日記
おすすめ過去ログ
全過去ログ
「麺こて」おすすめ日記