気がつくと10月ももう半ばですね。9月末の慌ただしさからは解放されたのですが、でもぼくはまだ新しい生活のリズムを作るのに四苦八苦しています。
平日は1日2食、土日は3食、週6日で計13食くらいをスパゲッティで過ごすのにも早くもうんざりですし、家に帰るとぐったりで、でもメニュー表や金額を暗記しなきゃいけなかったりして、部屋の掃除も洗濯もできないし何より日記が書けません。
夜は疲れているので早く寝て、朝に起きて日記を書こうと毎日思うのですが、そんなことはもちろんできず時間ぎりぎりまで寝てしまいます。寝ている間も緊張しているようで、「何時だと思ってるんだ!」という電話で飛び起きるという夢を見てはっと目が覚めたりします。あとは「最近店がヒマだから、明日からもう来なくていいよ」と言われた夢を見て、起きた瞬間って夢だかそうじゃないかすぐにわからないときがあるじゃないですか、それで「ひょっとすると自分は本当にクビになったんじゃないか」と半信半疑で仕度をして、ドキドキしながら寝ぼけまなこをこすって出かけたことなんかもあります。
時間的にはそんなに余裕がないわけではないし、書きたいことはいっぱいあるんだけど、いまはひとことでいうと「余裕がない」。そういう夢を見るのは、まだ緊張しているんでしょう。緊張しているから余計なエネルギーまで使っているのでしょう。とりあえず空いている時間はめいっぱい休息にあてないとやっていけません。でもそうして、ぼくはなんとしても何かをやりとげないといけないんです。
でも早く新しいリズムに慣れ、また自分なりの新しい何かを見つけていきたいです。日記を書いていなくてもこのサイトを毎日見てくれる人はいるようで、ちょっと心苦しく思うのですが、でもなかなか日記を書けないことがぼくの現状の表現になってもいると、思いっきり前向きに解釈することにして、今日も寝ます。
最近の心配事。PCを起動すると、「コツン」と小さな音がします。
それだけでほかに別に不審な挙動はないのですが、これは間違いなくよからぬサインです。
何度かPCのトラブルを経験してわかってきたのですが、パソコンとはデジタルであっても不死の命を持つものではなく、絶対にいつか物理的に壊れる運命にあるただの機械なのです。
ですから熱とか老化とかの実にあたりまえなアナログな理由で壊れ、その箱の中のデータやら思い出やらエロ動画やらは一瞬にして消え去ってしまうのです。
「コツン」という小さな音に、そのきざしが感じられます。そういや夏の後だし、熱でどっか不調をきたしているのかもしれません。いまのPCは大昔に買ったものに改造に改造を重ね、残っているのは箱と電源だけという半自作PCなのですが、CPUなんかはたぶん5年前くらいのものだし、いいかげん物理的に寿命なのかもしれません。
かと思うと携帯電話も、なんとなく不調です。折りたたみ式で、広げるとディスプレイの電源が点いて画面が明るくなるはずなのに、逆に画面が真っ暗になって電源が切れたみたいになることがときどきあります。
携帯はそろそろ替え時なのですが、別に不便はないのでしばらく待ちのつもりでした。来年の1月に今の端末にしてちょうど2年になって機種交換が安くなるし、なんなら来年にもナンバーポータビリティが始まるのでそれまで待っても遅くはない。
PCも全く同様に不便はないし、これもコードネーム「ロングホーン」ことWindows Vistaの来年のリリースに合わせてアップグレードすればいいかなと思っていました。
しかしそれを前に忍び寄る不安な影。
PCや携帯が壊れることにより被る被害は甚大です。早いところバックアップなり買い替えなりの対策をしないといけないのでしょう。でもそれもめんどうだし、新しいパソコンを買うとなると、買いに行ったり引越し作業をする時間もないし、何より金がない。
とりあえずサイトのデータだけはバックアップしておきましたが。かといってそんなもの持っていても現実にPCが壊れたらサイトの更新なんてできなくなるので実はあんまり意味がないのですけど。
けっきょく、いつか訪れる死への漠然とした不安を抱えながら、それに直面はせず日々を生きる、人間の人生といっしょなのだなあ、なんて思います。
などと日記的な例えをしている場合ではなく、一刻も早く将来への備えをしないといけないのですが・・・とりあえず何もせずに今日も「コツン」とPCを起動したのでした。突然死したらごめんね。
「利き酒師」という資格をご存知でしょうか。「ききざけし」と読みます。本当は「利」ではなく、口ヘンに利と書くのですが、その漢字はIMEにはあるのになぜかホームページビルダーが認識してくれません。
字はマイナーですが最近わりと注目を浴びている資格のようで、言ってみればソムリエの日本酒版。講義と試験を受ければ取得できる民間の資格なのですが、かなり受講者が増えているそうです。
学校の友だちにもその資格にチャレンジした人がいました。利き酒師とはなかなか洒落たタイトルだわいとテキストを見せてもらったのですが、これがすごい。
日本酒をどうやって製造するかの工程の解説や種類・特長などについてはもちろん、米や水について、酒税法について、酒の提供に適した器・相性のよい料理などなど。かなりぶ厚いテキストです。
なかでも目を引くのが「テイスティング」の項目。ワインでも、ソムリエが「ひと口目に若い樽の爽やかな香りがし、遅れて濡れた子犬のような渋みが・・・」なんて妙な例えをしますよね。日本酒でも同じことをするようです。
が、興味深かったのはその方法うんぬんよりも「間違ったテイスティングの例」についての記述。
テキストには、抽象的すぎる表現や冗長な表現はダメだと書かれ、その例が挙げられています。ダメな例は・・・。
「五月の風がフッと頬をなでたような」
「内定の決まった女子大生のような」
「鹿のいる森の中で栗を拾う美少女のような」
うーん、確かにダメです。
あとはね。
「シャープで鋭角的な酸味」「まるで木苺やフランボワーズやラズベリーのような香り」等々は、「毎日がエブリデイ」「ギャラクシーな銀河」と同じくらい恥ずかしいものです。
確かに、ダメです。
まあ、言われなくてもみんなわかっていると思いますが。
***
前職の退職間際に受けた健康診断の結果が郵送されてきました。まさか本当に結果がくるとは思っていなかったのでびっくりです。
が、それよりもびっくりしたのは、血液検査の結果「高脂血症ぎみにつき食生活を改善してください」と診断されたことです。
みんな、この日記を最後まで読んだら「キター!!!」と叫ばずにはいられないだろう。
***
昼間に働いているレストランのランチの真っ最中、できあがったスパゲティの皿を持って客席に向かおうとすると、その先にふと見覚えのある顔があった。
だれだっけと瞬時に記憶をたどると、それは間違いなく1年半前に辞めた会社の2つ上の女の先輩だった。同じ部の先輩との同期で、確か一度みんなでいっしょに飲みに行ったこともある。会社でも会えば挨拶する仲だった。お久しぶりです、と声をかけようと思った。
でもなんでこんな時間にこんなところに。ああそういえば、社内恋愛で結婚して彼女もつい最近退職したと聞いた。
ということは、彼女の向かいに座っている女性、ぼくは見たことはないけれどもその人も、前の会社の元同僚とかかな。主婦仲間で買い物ついでにランチ。ありがちである。
が、そう思った瞬間、とたんにぼくは彼女に声をかけることができなくなった。
ここでぼくが正体を明かせば、彼女はきっと再会を喜んでくれるだろう。だけど帰ってすぐに彼女はダンナにその話をする。ダンナは今でもぼくが所属していた部署にいる人だ。ぼくがレストランで皿を運んでいたというニュースは瞬く間に社内中に広まる。
そう考えると声をかけるのがためらわれ、ぼくは彼女の斜め後ろから手だけ伸ばして「・・・ミートソースです」とできるだけ小さな声で言った。彼女はぼくに気づかなかった。ぼくは逃げるように洗い場に引っ込んだ。そう、ぼくは逃げた。
そういえば前にもこんなことがあったと思い、日記の過去ログを探してみた。去年の6月のことだった。
電車の中でばったり中学・高校の同級生を見かけ、スーツ姿の彼とフリーターの自分のギャップに身が縮まり、ぼくは顔を伏せた。
1年半前から、けっきょくぼくはどこへも進んでいない。昔の知人に、「いま○○をしています」と胸を張って自己紹介をすることができないのだ。だってぼくはまだ、何もしていないのだから。
「自分のやりたいことをやります」と言って会社を辞めたはいいが、それは何の計画性もない捨てゼリフみたいなもので、結果は何も出ていない。学校に通ったとかホームページをがんばったなんてのは、この年になって、リアルの知人に胸を張って言えることではない。
ぼくにはまだ自信がない。いや、自信がないというのとは少し違うかもしれない。この1年半で自分なりにいろんなことをがんばってきたのは、安っぽい言葉でいってみれば「自分探し」みたいなものだ。ぼくは全てを無に帰し、ゼロから何かを作り上げて自信をつけたかったのだ。胸を張りたかったのだ。そしていまぼくは何かをつかみつつあり、この先いつかどこかにたどりつけるかもしれないという手応えのようなものを、なんとなく感じてもいる。
でも、それはまだ単なる手応えであり。この先どう進んでいけばたどりつくかもわからない。それがいつになるかもわからない。けっきょくぼくはまだハンドルネームが「店長」なだけで何者でもなく、再会した知人に報告するだけの近況も持たないのだ。
夢ばっかり見ていて、そんな現実に久しぶりに触れて、ぼくは落ち込んだ。
そういえば、「がんばってきた」サイトも、もう一年半だ。
「全過去ログ」のページは「2004年3月@」から始まっている。過去ログが溜まってから増やしていくのではなく、最初から「2004年4月@AB・・・」と格納庫を作って、それを「2006年4月A」まで用意した。「20代のうちに次のステップに進みたいので準備はここまでです」とぼくは書いた。2004年3月@のぼくは、いま以上に能天気だった。2006年4月までに何かがどうにかなり、新しいサイトがスタートすると思っていた。
だが現実は、そんなには甘くない。ときには漫然と、ときには猛烈に、日々は過ぎて日記は溜まる。10日に一度全過去ログに日記を移してリンクを貼る作業はまさにその確認だった。それは2004年3月@のぼくのもくろみどおりで、夢に期限をつけて常に意識するという意味ではよい仕掛けではあったが、用意した格納庫に次々とリンクが貼られて色が変わっていくのは、夢が現実に塗り潰されていくようなものでもの悲しくもあった。
こうして過去ログ欄が半分以上も埋まってくると、あきらめも半分以上覆いかぶさってきて、いやそれは悪い意味でのあきらめではなく、腰を据えてあと何年でもやってやるさみたいな。たとえば半年後にぼくは学校を卒業して、すぐに30歳になる。でも今の店での修行はそこから、社員になってから始まるといったほうが正しいだろう。そしてひととおりのことができるようになるには少なくとも3年はかかる。まあ薄給でもなにしろ食費がかからないので、それなりに貯金もできるかもしれない。そして6年働くと、国民生活金融公庫というところで独立のための融資が受けるための大きな基準をクリアする。現実と夢の落としどころがそんなふうに見えてきて、腰は据わってきた。
でも6年後の自分の姿とか、そのとき親はいくつになっているんだろうとか、いくつか現実を重ねて考えると凹んでくるのも事実だ。腰を据える伏龍の時といえば聞こえはいいが、この先6年も胸を張ることができないのか。浮かびてえよ。
6年後、35か。まあキリはよい。「20代のうちに」なんて甘い考えは捨てて、2006年4月Bには軽くサイトのリニューアルでもして、「ワカレミチ修行編」と題して何もなかったかのように続けていきましょうかね。方向転換は当サイトの醍醐味ですからね。
とか思っていた。
***
ところで、行きつけの店というものを持たないぼくなのだが、たった一つだけ昔から通っている居酒屋がある。
初めて行ったのが、ナイショの話だが中3のときというくらいで、ぼくは人生の半分をその店に通いつづけて過ごした計算になる。そこで飲んだウイスキーの量というのは全部で風呂桶一杯くらいになるだろう。
そこは老夫婦が二人で切り盛りする小さな店なのだが、どういうわけだか彼らは昔からぼくのことをずいぶんかわいがってくれた。彼らには息子がいないので、ぼくのことを息子同然に大事にしてくれた。息子同然というのは誇張ではなく、娘さんも含めてみんなで食事をしたことなんかもあるし、飲みに行くとおばちゃんは厨房の奥に向かって「ちょっとおじちゃん、息子が帰ってきたよ〜」なんて言ってもてなしてくれて、いろんなものを食べさせてくれる。
ぼくの何がそんなに気に入ってくれるのかはわからないのだが、どうやら彼らは会社を辞めたぼくの心意気を非常に買ってくれているらしい。2年前、飲食店をやりたいので会社を辞めるという報告をしにいったとき、おじちゃんの言葉にぼくはびっくりした。
「そうか、それはよかった。おめでとう!」
そんなこと無理だ、できるわけないという言葉だけは耳にタコができるほど聞いていた。おめでとうなんて言われたのは初めてだったから本当に驚いた。
なんでもおじちゃんは、自分も大学を途中で辞めて独立して成功した経緯があり、自分が歩いてきた道とぼくが歩もうとしている道が重なって見えるらしい。その店は場所がら東大生とか慶応大生の溜まり場みたいなところで、卒業してからOBが訪ねてくることもよくあり、彼らはそうそうたる超一流企業に就職して立派な会社員になっている。でもおじちゃんはそういうのには興味がなく、それよりもそういう道から外れて自分の力で歩いていこうとするぼくを応援したいのだという。
それはありがたい話であり、ぼくは成功者であるおじちゃん・おばちゃんにことあるごとに相談に行き、自分の店の計画を話したりしていた。最近ではもうお金も払わなくてよくなっちゃって恐縮しきりである。
つい最近も、学校の学費が払い終わるのでようやくレストランで修行ができるという報告をしにいったところだ。やっぱりおじちゃんおばちゃんは喜んでくれて、夢に一歩近づいたねえなんて話をした。いやまだまだ、あと6ヶ年計画ですからねえ。
と、その数日後に携帯に留守電が入った。
「おじちゃんですけど。店がヒマなときにみんなで鍋でもつつきたいので、水曜あたり都合をつけてこっちに来てくれないかなあ」
おじちゃんは年賀状とか書中見舞いとかはマメにくれる人で、ぼくはそういうのをマメに返すほうではないのだが代わりに何かあればちょくちょく顔を出しているけれど、そういう風に予定を決めて店にきてくれと言われるのは珍しいことなのでぼくはちょっと意外に思った。
まあ、夢に一歩近づいたなんて話をしたから、そのお祝いをしてくれるということなんだろうと思って、言われるままにぼくは店を訪ねた。
学校帰りに顔を出すと、小さな店に客はだれもおらず、客席の真中におじちゃんが大きな鍋を持ってきて3人で囲んだ。毎日スパゲティでビタミン不足の身なので実にありがたい。うまいうまいと言いながら元気よく食べるぼくを、おじちゃんおばちゃんはいつものようにうれしそうに眺める。
勧められるままに酒まで飲んで、いい気分になってきたころ、おじちゃんが突然言った。
「実はねえ。このビルの下のテナントが空いて、この不景気だからいい借り手も見つからないみたいで大家が困ってるんだよ」
その話は前にも少し聞いていた。その店は3階で営業して18年にもなるのだが2階のテナントは長続きせず、これまで入っていた洋服屋も畳んでしまって空き家になっているらしい。この前に来たときにもその話になり、「店長くんなら、ここに店を出すとしたらどんな店だったらうまくいくと思う?」なんて話をしていた。
「あの場所なんだけどねえ、実はおじちゃんが契約してもう一軒店をやることにした」
おー、すごいじゃないですか。
おじちゃんの店はすごく繁盛していて、このご時世でも新規に出店するだけの体力もありそうに見える。それにしてもおじちゃんはいつも即決即断の人で、この前2階が空いた話をしたと思ったらもう契約である。大家のほうも、18年営業してきた実績のある借り手が手を挙げてくれたものだから大喜びで、審査中だったほかの申し込みも全て断って即契約に至ったらしい。
おじちゃんは奥から図面をひっぱり出してきて言った。
「これがこの店の更地の状態の図面なんだけど、基本的にはここと同じ作りなんだよね。これからそこにどう厨房や客席をレイアウトしていくかの作戦を練らないといけないんだ」
うーん、それはワクワクしますねー。
「きみがいずれ自分のお店をやりたいというのをおじちゃんおばちゃんは知ってるからさ、この立ち上げはきみにとってもすごく勉強になると思うんだよ。実際に一軒お店ができる過程に立ち会えるなんてことはめったにないから、ぜひ見ておいてほしいんだ」
うんうん!そんなチャンスめったにないです!
そしたらまた遊びにくるから、どういうふうに店ができていくかぼくにも見せてよ!
「というかねえ・・・おじちゃんは、きみに社員としてきてもらってこの店を任せたいんだよ」
うんうん!そしたらぼくはいきなりリアル店長だね!
・・・あれ・・・ちょっと待って・・・・リアル店長?
「うん、店長として2階の店をやってくれないか」
ぼくが???
リアル店長のオファー、キター!!!!!
こここ、このぼくが、リアル店長?
おじちゃんは満面の笑みでぼくを見ている。
いやいやいやいやおじちゃん、いくら即断即決の人とはいってもさすがにそれはありえない一手だよよよよ。
こんなふうにおじちゃんはときどき突拍子もないことを言い、いつもそれをおばちゃんがたしなめる。彼らはそういうコンビなのだ。ぼくは、半分助けを求めるようにおばちゃんのほうを見た。
ところがおばちゃんは、うんうんと大きくうなづいて黙ってやっぱりぼくを見ている。
・・・マジっすか。
ととととりあえず、そういう大事なことは一日ゆっくり考えてから結論を出しましょうね。一日ぐらいは。お互いにね。うんうん。
あまりに唐突に降って湧いたビッグな企画に腰が抜けて、すぐに返事をしていいものかわからなくてぼくは大混乱した。これはきっと夢だ。きっと目が覚めるとそこは昨夜の宴がウソのような朽ち果てたあばら家、鍋を囲んでいたと思ったその場所にはしゃれこうべが転がっている、とかなんとか。あわわわわ。
まあそんなこともありうるし、ほら学校とかバイトとかいろいろ考えないといけないこともあるし、一日くらいは考えましょうよ、うん。
ぼくがそう言うと、今度はおじちゃんたちがちょっとびっくりした様子で言った。
「あれ、学校、卒業したんじゃなかったっけ?」
・・・彼らは、この前ぼくが「学費の支払いが終わったので昼の仕事を辞め、レストランで働き始めた」という報告をしにきたのを、「学校を卒業してレストランで働き始めた」と勘違いしていたのである・・・・。
そこにたまたま新規出店の計画が持ち上がり、それならぼくにやらせてみようと二人で話したのだという。「きっときみの将来の役に立つと思うし、きみのような人材に来てくれれば願ったりかなったりだし、なにより息子ができるみたいなもんだから、いっしょにできるといいんだけどねえ、ぜひ考えてみてくれないか」とおじちゃんは言った。
はい、考えます。
次の日。
目覚めると、とりあえずそこはあばら家ではなかった。
レストランのバイトに行っても、ぼくはうわの空でミスばかりした。
そりゃそうだろう。こんなうまい話があるはずはない。シュミレーションゲームなら、さしずめタイトルは「飲食店を作ろう!」なんつって、「0年1ヶ月:資金1000万円」から始まる。それで場所を決めて内装をレイアウトしてメニューを考えて、目指せ行列のできる繁盛店!でもその1000万円をどこからひねり出すかというのはゲームの筋には入っていない。
もちろん現実はゲームではなく、その1000万円をどこからひねり出すかというのが一番大変なところなわけである。ところが降って湧いた話は、「テナントを一個押さえたからいっしょに店をやろう」。
1000万円どころじゃない、場所は渋谷。ウン千万の初期費用が、いきなり空から降ってきた。しかも眉ツバものの話ではなく、全面的に信頼でき実績もある人からの自信満々のオファー。ぼくは何の資本も持ち寄らず、身一つで飛び込めばいい。全くのノーリスク。シュミレーションゲームですら何千円か払わないと買えないけれど、それよりも安い。ぼくはうわの空になることしかできなかった。
でも、とりあえず一日考えないといけない。まずは学校のことだ。
大学と違い、調理師学校を卒業するためには成績うんぬんよりまず出席日数が一番のポイントになってくる。所定の課目を所定の時間数以上受講することが、調理師法で定められた絶対条件なのだ。
学校は来年3月卒業予定で、いまは半年ごとの3クールの3年次。1年次・2年次はほぼ休まずに通ったけれど、出席は各年次ごとで独立して求められ、つまり3年の授業をある数以上休んでしまえばそれだけでアウトになる。
バイトの後に早めに学校に行き、担任の若先生の携帯に電話をした。
ぼくは先生と仲良くなるタイプの生徒ではないので突然の電話に若先生は少し驚いた様子で、ぼくが一階のベンチにいることを告げると「・・・すぐに行きます」と彼は答えた。
ほどなくして彼がやってきた。
ぼくは単刀直入に「もしかしたら学校をやめるとか、休学するとか、そういうことについての相談です」と言った。彼は黙ってうなづいた。
それからぼくは、信頼できる人からのオファーがあり店を持つチャンスが巡ってきたという、これまでのいきさつを説明した。だから学校へは通えなくなるかもしれません。でもさすがにここまできたらもったいないし、卒業できるものならしたい。卒業するためには、もしくは卒業しないためには、どんな手続きやらなんやらがあるんですか。
学校の先生というものはすべからく、生徒が「辞めたい」と漏らしたときには引き止めるようにインプットされていると思っていたから、ぼくは彼がどんな反応をするかはだいたい予想していた。
しかし彼は、ぼくの話を全て聞いたあと、ちょっと考えて言った。
「・・・やりたいんでしょ?」
止められるものだと思っていたから、ちょっと驚いた。
「やりたいんです!」
前のめりになってぼくは答えた。
そう、ぼくはやりたいんだ。
こんなチャンス、一生に二度とこない。「チャンスの神様は前髪しかないんだぜ」。いまその神様が、前髪をファッサーとなびかせて走ってきているのだ。おじちゃんは歳なのでもうだいぶ髪は薄く、でもそのおじちゃんに前髪だけがファッサーと生えて満面の笑みでこっちに走ってくる姿を想像して、ぼくはちょっとおかしくなった。
「だったらやったほうがいいですよ。卒業も、できればしたほうがいいけれど」
そうしてぼくらは「卒業するためにはどうしたらいいか」ということについて話しあった。
調理師免許を取得するにあたって必要な出席日数からいうと、1科目で許される欠席は最大5回。1科目でも6回以上休めば、問答無用でジ・エンド。法律で定められていることだから救済はできない。店をやりながら、なんとかやりくりしてそれをクリアするのが考えられる第一の策。
それがダメだった場合には、昼間部に転籍して取り残した単位だけを取ることはできないかとぼくは聞いてみた。でも若先生は、これまでにそういう前歴はないという。そもそも1年制の昼と1.5年制の夜ではカリキュラムが異なり、現実的な案ではなさそうだ。
あとはおじちゃんの会社の社員としての仕事を「公休扱い」にできないかという案。夜間部は昼に仕事をしている人がほとんどで、のっぴきならない仕事の用の場合で学校を休まざるを得ない場合もある。そういうときには雇い主から一筆もらえば「公休」ということで出席扱いになるケースがある。それをうまく利用して、最大5回の欠席許容日数を拡大できないかという苦肉の策。
「・・・いま働いている会社の用ということなら公休になるんですが、これからやる仕事ということだとちょっと厳しいかもしれませんね。でも責任者のヨネスケ先生に相談してみる価値はあります」
ここで補足。
今日の日記でも、これまでの日記でも「担任の若先生」という表現をしていた。が、実は彼はぼくらのクラスの担任ではない。
彼は確かに1年次のクラスの担任だったのだが、2年生で担任が替わった。それがヨネスケ先生だ。
ヨネスケ先生は日本料理の講師陣の一番偉い人で、かつ夜間部の総責任者みたいな人。だから若先生はヨネスケ先生に相談するといいと言ったのだ。
とりあえず10分ほどの立ち話で、だいたいの方向性は見えてきた。
学校と雇われ店長と、できるものなら両立したい。
もうひとつ考えないといけないこと。それはいま働いているレストランのことである。
キッチンは社員しか使っていないというところを無理言って押しかけて、卒業後に社員になりますからということですったもんだの末にバイトで使ってもらっている職場だ。それを1ヶ月やそこらで、「店をやらせてもらえることになったので辞めます」というのはなんたる自分勝手。
学校が終わった後、社長の携帯に電話をした。この店はいま3店舗あり、社長は新しくできた別の店で店長として働いている。だからふだんはいっしょに働くことはない。
社長の店も営業中なので、当然電話は留守電になる。「相談があるので、家に帰ってからでもいいので折り返し電話をください」とメッセージを残した。こちらはどうなることやら。
留守電を残して、家に帰ってもちっとも折り返しはこない。1時を過ぎ、もしかしたらもう社長も寝ているのかもしれないと思ってぼくも床についたが、ちっとも眠くはない。ぼくはワクワクしている。
しかし同時に、「こんなおいしい話があっていいわけがない。何から何まで、甘すぎる。おいしすぎる」という気持ちがある。社長は絶対にそこを突いてくるだろうという恐れがあった。ぼくは眠れなかった。
果たして2時半ごろに、携帯がなった。まんじりともせぬ床から飛び起きて、ぼくは電話に出た。
「降って湧いた話なんですが、知り合いから店をやらないかという話をもらい、辞めさせてもらえませんか」
なんとも荒唐無稽な話だが、そう言うしかない。
ぼくが話し終えるより前に社長は言った。
「ふざけるな!お前にやれんのか?え?それだけの技術はあるのか?人様が汗水たらして働いて、その金で店にくる、その汗水にかなうだけのものをお前は提供できるのか?」
たぶん社長は、留守電を聞いた時点でぼくが「辞めたい」という話をするのはわかっていたのだろう。
「断言する。お前には絶対無理だ。まず謙虚がない。それでいて変なところでプライドが高い。人間性を根本から変えないと絶対無理だ。断言する」
きっと社長は飲んだ帰りだったのだと思う。でも、断言する絶対無理だと、強い口調で2回も言われてしまった。
その言葉はグサリと、ぼくの胸に突き刺さる。
社長とは、面接を除けば2回しかいっしょに働いたことはない。でもその間にぼくは社長から、なみなみならぬオーラを感じた。このご時世に繁盛し拡大していく店を経営するだけの理由と力を感じた。その彼は、たった2回でぼくの本質を見抜いた。「謙虚さがない」。人の言うことをきくのがいやで会社を辞め、こうしてネットで作り上げた世界で言いたい放題やってきて、そこで一つの自信みたいなものをつけてしまい、ぼくはすっかり謙虚さというものを失っている。そして調理師学校にちょっと通っただけでぼくには何の経験もない。ズバリ言われたぼくはぐうの音もでず、彼は「お話にならない」と言って電話は終わった。
次の日、よく眠れぬうちに目が覚めて、ぼうっとしていると携帯が鳴った。
ディスプレイを見ると社長からだった。なんとなく電話がかかってくるのはわかっていて、ぼくはしっかりと電話に出た。
「11時半に、店に来なさい」
社長の店は、11時半オープン。準備が終わり、それでいてラッシュの前で、その時間なら少し余裕がある。ちょうどその日ぼくは一週間で唯一の休みだったので、すぐに身支度をして家を出た。呼び出しを受けて裁判所に出頭するような心境で、電車に乗り社長のいる店に行った。
店のドアを開けると社長は「まだちょっとバタバタしてるから、カウンターに座ってて」とだけ言った。入店直後の2日、研修としてぼくはその店で働いていたし飲みにも行ったので、その店の人たちもみんなぼくのことを知っている。他の店のバイトが神妙な面持ちで社長に会いにきたというのは何か事情があってのことだというのをみんなは瞬時に察知して、開店直後の店がとたんに緊張に包まれた。だれもカウンターに近づかない。
5分ほどの長い長い時間を経て、水の入ったコップを2つ持って社長がぼくの隣に座った。
バイト募集してますかと聞きにいっただけでアイスコーヒーを出してくれ、面接に行っただけでカルボナーラを食べさせてくれた店で、水が出てくるというのは考えてみればすごい冷遇だ。
社長はきのうとはうってかわって穏やかな口調でもう一度これまでの経緯とこれからの計画をぼくに聞いた。予想していたことだけど、さすがに自分も飲食店を経営し成功している人だけのことはあり、実に的確にポイントを押さえていた。店は何坪か、客席数は、客単価は、メニュー構成は。
その辺はおじちゃんが熱く語るのを聞いていたから、ぼくも必死に答えた。14坪で、いまある店舗はかなり繁盛しています。アラカルトよりコースがメインの店で、コースの売上の比率が実に9割以上を占めます。予約が前提のコースが主流なので料理は手が込んだものではなく、ある程度事前の準備で対応できます。だから厨房は1人で対応でき固定費が抑えられ、提供する料理が限られるため原価率は抑えられ、実に7割以上の粗利益率が確保できます。今の店の下の階に新しい店を出すため、今の店でさばききれない団体客を回すだけでも開店直後から安定した客の入りが見込め、立ち上げ当初から損益分岐点を上回る見通しが立ちます。彼らは長く付き合いのある信頼できる人で、将来ぼくが自分の店を持ちたいという希望も知っていて経験のためにぼくに任せてくれようとしています。これはチャンスなんです。
客用の紙ナプキンにぼくが話した計画の要点をメモしながら、そこまで理路整然にぼくが答えるとは予想していなかったのか、社長も少しびっくりした様子だった。「一人じゃ、店長ってのもおかしな話だがな」と皮肉っぽく言ったあとで、「それほどちんちくりんな話ではないみたいだな」と急にまじめな顔になった。
そして社長は突然その紙の下のほうに縦に4つの四角を並べて描いた。
「ます店を出すには、スケルトンの状態から動線を考えて設計をするところから始まる」
ひとつ目の四角に斜線を引いて塗りつぶしながら、社長は言った。
「ここが一番大事になる。どう客席と厨房を配置して、どう動くか、動かすか。どう図面を引くかをしっかりと考えろ」
次に、矢印を描いて下の四角を指差した。
「そうしたら実際の工事に入る。そうなったらあとは指を咥えて見てるだけだし、毎日見に来られたら工事の人も邪魔だろうから、その間はうちの店で働け」
2つめの四角は空欄のままでまた次の矢印を引き、下の四角に斜線を引きながら続ける。
「工事の途中で、建物の構造上図面の思惑通りに工事が進まないトラブルが出てくることがある。そこでどう対応するかの知恵を絞らないといけない」
そして最後の四角に移り、それをぐしゃぐしゃと塗りつぶして言った。
「実際に店が動き出す。こう設計しておけばよかった、こう設計しておいてよかった、そう思うことがあるだろう。うまくいかなかったところをどう改善するか、次の店の設計にどう生かすか、きちんと見ておけ」
そうして社長は拍子抜けするほどあっさりと、ぼくのわがままを許してくれた。25日締めでキリがいいから、25日までこのまま働き、その間でも欠かせない用のときには抜けてもいいということになった。
「教わっただけでまだ何の役にも立ってなくて申し訳ないので、10月の給料はいりません」とぼくは言ってみたが、社長は鼻で笑って席を立った。
内心快くは思っていないのは明らかだが、けっきょくのところぼくは社員でもなんでもないただのアルバイトで、しかも働いて1ヶ月のペーペーだ。何の役にも立っておらず、皿を運んだり洗ったりする以外の戦力にはなっていない。ここで抜けても痛くも痒くもないというところだ。
それを、あえて店に呼び出してまで話を聞いてくれたというのは、引き止めるためではなくぼくが言う「チャンス」が、本当にチャンスなのか客観的な目で判断しようとしてくれたように感じる。思いつきでおいしい話に飛びついているのだったら許さないが、そうでないなら止めはしない、そんな話しぶりだった。そうでないことがわかったから、現役の経営者の視点で最後にアドバイスまでくれたんだろう。
なんて、ありがたいことだ。辞めさせてもらえないことはありえないだろうけど、できることなら納得してそれを許してほしかった。社長は許してくれたし、最後の4つの四角のことを聞けただけでもこの店で働いた意味はあったとぼくは思う。
そうしてまたおじちゃんの店に向かった。
「一日考えましょう」と言った一日が過ぎ、なんど考えても結論は変わらない。
「こんなチャンスは二度とないので、ぜひやらせてください!」
もちろんおじちゃんもおばちゃんもとすごく喜んでくれた。
ぼくにとってもチャンスだが、彼らにとってもチャンスだという。この場所で営業してきて18年、下のテナントがぽっかり空いて売上を拡大するチャンス。後でじっくり説明することになると思うが、おじちゃんはばっちり勝ちに行くつもりで新しい店を出すのだ。決して道楽でやるのではない。そしてそのパートナーに、ぼくを選んでくれた。
いまのレストランの社長は、ぼくの人間性では絶対に無理だと最初に言った。でもおじちゃんおばちゃんはぼくを買って任せてくれようとしている。2回いっしょに働いただけの社長と、15年ぼくを見てきてくれたおじちゃんとおばちゃんの、どちらを信じるかと言えば、ぼくはもちろんおじちゃんおばちゃんのオファーに身をゆだねる。
もうおじちゃんは手書きの覚書を用意していて、甲の欄にはおじちゃんの会社の名前と社印がとっくに押してあった。いずれは独立したいというぼくの意向をくんで、「契約を解除する際には1ヶ月以上前に申し出る」という条文も入れてくれた。
ぼくはハンコまでは用意していなかったから、正副2通の覚書の乙の欄に住所と名前を書き、拇印を押した。3人で握手をした。
「息子ができたみたいなもんだよ」とおじちゃんが言った。「家族でやるみたいなもんだからねえ」とおばちゃんが言った。
家族なら、ぼくは彼らについていっても大丈夫だろう。親のもとで成長できるだろう。大きくなって恩返しをしよう。10月26日付けで家族になる契約を、ぼくらは交わした。
こうして、疾風怒濤の末にぼくはリアル店長になることになった。雇われだけど、従業員はいないけど、胸を張ってアイアム店長。
何もわからないけれどその世界に飛び込むことになった。何があるかわからないけど、人間ここまでワクワクできるのかというほど、いまぼくはワクワクしている。
いつも言い聞かせてきたことだ。想像力とスピードと、その2つだけ持って飛べ。その後どこに落ちるかは、飛んでる間に考えろ。
思いもよらなかった方向転換。ワカレミチ「雇われ店長編」、10月26日ゴング!
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