うなぎいぬは見る見るうちに弱っていく。
水も飲まない。エサ皿にふつうにエサを入れても食べない。少しでもエサに気を引くように、エサの上にフェレットバイトを垂らして与えても食べない。指にフェレットバイトをつけて鼻先に持っていくと少し舐めるが、以前のような勢いはない。フェレットバイトを舐める口元がフラフラと揺れて、鼻の横にフェレットバイトが着く。元気なときにそんなことがあれば、匂いはするのに見えないフェレットバイトを探して「目の前ににんじんをぶらさげた馬」のようにそこらじゅうを嗅ぎまわったものだが、それすらもせずに、また眠る。
いや、眠ってはいない。目は完全に閉じず、ぼーっとしている。横になってもじっとしていることができずに、ふらふらと姿勢を変えようとする。立ち上がろうとするが体を保てずハンモックから落下する。落下する際に足をスノコのすき間にはさみ宙ぶらりんになるが、叫び声ひとつあげることができない。
その様子が危なっかしくて見ておれず、ぼくはゆうべ彼の小屋の2階部分のスノコを取り外した。ハンモックも低い位置に吊るし、小屋を平屋にした。
それが功を奏したか、ゆうべは少しだけ落ち着いた様子で夜を越していた。ぼくも少しだけ安心して、とりあえずバイトに行った。暑くないように、クーラーはつけっぱなしにして家を出た。
仕事を終え、大急ぎで家に帰る。幸い夜のバイトは休みだった。ドアを開ける瞬間に最悪の事態が頭をよぎり、ふとドアノブを回す手が止まる。しかしそこで躊躇していることすらもどかしく、次の瞬間にはドアを開けて家に飛び込む。
まだ、生きていた。
四六時中寝ていても、ぼくが帰ったときだけは、少なくとも顔くらいは上げて反応してくれた不思議な生き物。それすらもできないほどに衰弱しているが、とにかく、まだ息をしていた。
すぐに病院へ行く準備をして、携帯用の小さなカゴに入れて家を出た。
電車の中で、カゴの窓から見えるウナを見た制服の女の子たちがはしゃぐ。
「フェレットだ!かわいい!」「おとなしいんだね」「癒される〜」
いえ、違います。弱ってるんです。あなたを癒してる余裕はありませんので、少し黙っててください。
いつもはこのカゴに入れると、狭い暗い出せと大暴れをして内側から引っかくものだから、ボッボッと音を立てて揺れる奇妙な手荷物になったのに。おとなしいなんて言われることもないし、おとなしいなんて黙って言わせておくようなタマじゃないのに。そしてカゴは何も入っていないかのように軽い。
電車を乗り継いで動物病院に着いた。フェレットを飼っている人ならだれでも知っている、有名な獣医師の病院だ。
事前に電話で簡単に状況を説明していたので、すぐに受付でカルテを作る。助手の人は、ウナをひと目見て「・・・ずいぶん衰弱してますね」。
そして「なるべく早く診るようにしますね」とも。少しほっとした。そして彼女はカルテに「うなぎいぬ」と書いた。ほっとした。うなぎいぬは、ひらがななのだ。ウナと言うときはカタカナで、フルネームのうなぎいぬはひらがな。これが、ぼくが日記を書くうちにいつのまにか自然発生した正式表記法なのだ。
しばし待合室で待つ。
待合室といっても、その病院は非常に開放的な作りで、仕切りもなにもなく、同じ部屋のすぐそこで診察をしている。ガラスを隔てた奥が手術室になっていて、マスク越しなのでよくわからないけど例の有名な獣医師らしき人が手術をしている。なにやらビシビシと切ったり縫ったり、スーパードクターKばりの華麗な手つき、のように見える。手術なんて、動物のものも人間のものも間近で見たことはないからよくわからないけど。とにかく、待合スペースにいるほかの飼い主にも手術やほかの患畜の診察の様子が見えるのだ。人間の病院ならまずありえない風景。
手術まで見せるのはさすがに開放的すぎるんじゃないか、とも思ったけれど、実際そこは開放的で温かみがあっていい病院だった。患畜ごとの診察が驚くほど長い。待合スペースの目の前に2つの診察台があり、その様子が見れるのだが、1匹あたりゆうに15分から30分は診てくれる。これもまた人間の病院ではありえない。
だが、今回ばかりは前の患畜をゆっくり診ているのがもどかしい。フェレットで有名な病院だけあって、周りは犬と猫が数匹のほかはフェレットばかり。とても混んでいる。隣に座ったねーちゃんもフェレットを連れていて、そのフェレットは予防注射かなにかに連れてこられたらしく、すこぶる元気で若いフェレットだ。ねーちゃんのひざの上でもじっとしてはおらず、カゴに入れてもバリバリと中から引っかいて、その様子を見てねーちゃんはクスクスと笑っている。
うなぎいぬをカゴから出してひざの上に乗せると、うなぎいぬはぐったりとぼくの腿に頭をあずけて動かない。くやしい。
1時間半ほど待ったか、やがて名前が呼ばれて前に出て診察台にうなぎいぬを載せる。「見るからに脱水症状ですね」と、立つこともできず診察台に敷かれたタオルの上にただ横たわるウナを見て、先生の顔が曇る。(ちなみに例の有名な先生ではない。スーパードクターはまだ手術中。)
「何歳ですか?」と聞かれ、「たぶん6歳か7歳くらいです」と答える。「・・・けっこういい歳ですね」とさらに先生の顔が曇る。
「『たぶん』って?正確な誕生日とか分かりますか?」というので、「考えればわかるんですけど、考えると歳がわかって寿命までの時間も分かってしまうのがいやで、これまで考えないようにしてました」と素直に答えたら、少し先生の顔がほころんだ。ぼくもまた少し、なんとなく安心した。
それから先生は真剣な顔に戻り、触診をしたり最近の様子やウナの生活環境のことを詳しく聞いたりした。異物を食べたり腫瘍ができたりしている様子はないらしい。でも腎臓が腫れていて口臭もひどく、腎不全の疑いがあるという。
部屋の温度のことを聞かれてあまりクーラーは点けないと答えると、それはフェレットにとって大きな負担になりますと言われた。これくらい高齢になると、暑さ寒さにも弱くなって、まして今年の夏は早くから暑かったからそれで体調に異変をきたした可能性もあると。
とにかく血液検査をしますということで、注射器で血液を抜く。これくらい脱水しているとそれすら難しいかもしれないということだったが、なんとか血液は採れた。検査の結果が出るまで少し待っていてくださいと言われ、ぼくらは後ろの待合のイスに下がる。
またうなぎいぬを膝の上に乗せ、しばし待つ。入れ替わりに診察台では、さっきのねーちゃんのフェレットが元気に跳ね回っている。奥の手術室では相変わらずスーパードクターが腕を振るっており、ガラスを隔てて飼い主が立ったまま心配そうに見ている。
ふと、ぼくの目からぼろぼろと涙がこぼれた。
あれ、あれれ。自分でも少しびっくりした。感情があって、涙が流れたのではなく、きっかけもなくとつぜん涙がこぼれた。
感情はあとからついてきた。
かわいそうに。暑かったのか。脱水してるのか。暑かったなら言ってくれればよかったのに。いつも黙って寝ているからちっとも分からなかったよ。ごめんなあ。苦しいだろう。
ひざの上のうなぎいぬは、ただ息をしているだけで、見る影もなくぐったりとしている。丸まって寝るのが基本形なのに、だらりと伸びて頭をぼくの腕にあずけている。ちょっと前まで太りすぎを心配していたのに、驚くほど軽い。内臓の下、後ろ足の上あたりのところが、ぎょっとするほど落ち窪んでいる。恐る恐る体をなでると、ごつごつとした骨の感触が感じられ、痛い。
まるでお手玉みたいだ。中にあずきの入ったお手玉。ぼくの腿の形に合わせてくったりと伸びきって動かないお手玉。あずきのように、ごつごつと手に当たる骨。
開放的な待合室で、ぼくは周囲もはばからずに泣いた。病院は混んでいたけど、通院や健康診断の患畜が多く全体的にはのどかな雰囲気だった。犬を連れて母親といっしょに来ていた小学生くらいの男の子が、ぼくの顔をけげんそうに見ていた。ハンカチはカバンに入っていて、ぼくの右手の上にはうなぎいぬの頭があったから動かせずに、ぼろぼろと涙はこぼれ落ちた。涙がうなぎいぬの上に落ちる。それで少しでも彼の体が潤えばいいのに。でもそうはならない。そう思うとよけいに涙が出た。
やがて検査の結果が出て、また診察台に呼ばれた。やはり腎機能に深刻な障害が出ているという。腎臓が弱り尿が出ず、尿といっしょに排出されるはずの老廃物が体内に貯まっているという。その値を示す数値は、機械の目盛りを振り切れていると。
先生が触診でもう一度うなぎいぬの体を調べた。残尿がほとんどないという。尿を作る機能が低下している。その機能自体が失われてしまうと、いくら治療しても老廃物が排出されないわけだから、助かる見込みはない。そんな暗い話が続く。
先生は彼の下腹をティッシュで拭いた。ここしばらくろくにエサを食べておらずコールタール状の真っ黒い便がわずかに出るばかりだったから、それが乾いてべったりと肛門に張り付いていた。それだけじゃなく、立ち上がれず這うことしかできなかったからカゴの底のフンにまみれて、体中はうす茶色に汚れている。
だが、しかし。自力でエサも水も採ることができないのだからと、先生が注射器に水を入れてウナの口元にもっていった。すると・・・驚いたことに、ウナは水を飲んだ!続いてぶどう糖の水溶液を同様に口元にもっていくと、これも勢いよく飲んだ!やつれ始めて以来久しぶりに見る、ウナの生に向けた動き。先生も少し驚いたようで、「まだ気力ありますね」と言う。
明るい光を顔に近づけると、ぼーっと開いていた目をまぶしそうに閉じる。反応がある。昏睡が進むとまばたきすらしなくなり、目が乾いて角膜が傷つくこともあるそうだが、そうはなっていないという。
血液検査の結果にもとづいて点滴を準備するため先生が下がり、ぼくらはしばし診察台に残された。これまではただぐったりとしていたうなぎいぬだが、水とぶどう糖を飲んでからなんだか少し蘇ったようだ。動こうとしている。立ち上がれはしないが、すこし這った。ぼくも思わず力が入った。すると・・・次の瞬間、うなぎいぬの野郎、うんこしやがった!
ぼくがあわてて先生を呼ぶと、先生と助手が飛んできてウナを抱き上げた。「おしっこも出たね〜」と!ちょっと前まで尿が出ないことが致命傷だという話をしていたのに、さっき久しぶりに水を飲んだばかりなのに、もうおしっこしやがった!
これには先生もびっくり、ぼくもびっくり。人間だと、盲腸の手術のあとに最初におならをするのが回復の一歩目みたいなことを言うけれど、それに例えれば手術しておなかを閉じたとたんにブッ、みたいなもんだ。コールタール状の便ではなく、黄色く水っぽいうんちらしいうんち。助手がウナの腹をぬぐい、タオルを換える。力ないながらも、ウナは悪びれずにタオルの上を這う。「すごいですねー。そういえば年のわりには白髪もないし、けっこう体力あるかもしれませんね。この状態でこれだけ動くなら、元気なときはけっこうやんちゃだったんじゃないですか?」と先生。そうなんです、いつか勝てるといつも挑んできたんです。まだ勝ってないから、戦わないといけないはずなんです。
けっきょくうなぎいぬは病院に入院し点滴を受けることになった。人間でいえば集中治療室入りというわけだ。でも最後に生きる兆しを見せてくれたので、ぼくは少し安心した。
診察の終わりにウナは背中に注射を打たれた。うなぎいぬの体にすれば大きすぎるくらいの注射だ。注射針が刺さる瞬間、ぴくりとウナの体が跳ねた。注射が入ると、脱水して乾ききった体の中で見るからに薬剤の入った背中の辺りが膨らんで、診察台のライトに照らされて血管が透けて見えた。ぼくは、その膨らみが体中にめぐり薬剤がウナの体のすみずみに染み渡るさまを想像した。ほっとして、わざわざ遠くの病院まで連れてきてよかったと思いながら、一人で帰った。
入院している間は、面会にも行けるし、電話で様子を聞くこともできるという。
きょう朝イチに病院に電話をしたら、ウナは朝ごはんをきちんと食べたらしい。ひと安心。その後も、もし万が一のことがあれば携帯に連絡してくれることになっている。便りがないのはいい便り、電話がない限りはうなぎいぬは生きている。そう思うと昼間働いていても気が楽だった。
これまでも魚屋のバイトで、たとえばハモとかの少しはフェレットらしい(?)魚を扱うときには「おっ、ウナ♪」とか思ったもんだが、いまや何を見てもうなぎいぬである。パックに入ったタコ足を見ればぐったりと伸びきっていたウナを思い出して心を痛め、いけすに移すときに暴れる伊勢エビを見ればその生命の躍動をウナに重ね合わせて祈る。
そんなふうに頭の片隅でずーっとうなぎいぬのことを考えながら仕事を終え、夕方にまた病院に行った。面会の時間は決められていて、夕方6時に病院に行けば、触れることはできないが入院中のペットの様子をケージごしに見ることができるという。
病院に着くと、きょうはきのうとうってかわって空いていた。スーパードクターも手術はなく、手すきの様子でニコニコとそのへんを歩いている。少しおかまっぽい人だった。白衣に肩パッドをバリバリに入れるのはどうかと思った。
さて6時になり面会の時間。入院患畜は2階とのこと。空いていて、面会の飼い主はぼくだけで、ひとりで2階にあがった。
2階には5段×10列くらいのたくさんのケージがあり、たくさんのフェレットがいる。そのほかに、犬や猫やグェーグェー鳴くエキゾチックな鳥や、いろんな動物が入院していた。
その中で、階段をあがってすぐに、ぼくにはうなぎいぬがわかった。おお、ウナ、と思って近づいてしばらく見ていて、そういえばふと気づくとそのケージに貼られた札には「ウナギイヌ」と書いてあった。不思議なものだ。フェレットなんて白いやつ以外はみんな見た目はいっしょに見えると自分でも思っていたのに。つーかうなぎいぬはひらがなだっての。
さて、うなぎいぬの様子は、良くもなく悪くもなくといったところか。朝ごはんは食べたそうだし、排尿もあるということでひと安心だが、予断は許さない。
入院前の、ぐにゃりと力なく伸びきっていた状態からは少し回復したようで、見ている間にもヨタヨタとケージの中を歩き回った。目を閉じて、寝ているようなそぶりも見せた。
ただ、ケージの床にはタオルが敷いてあったのだが、タオルは敷かれた状態できれいなまま。元気なうなぎいぬなら、タオルを目の前にしてただ上で寝ているなんてことはありえないのだ。下に潜るは噛むはひっかくはで、タオルは大変なことになっているはずだ。
周りの入院フェレットを見ても、タオルがきれいかどうかは体力のバロメーターになっているようだ。病状が軽そうなやつや外傷で入院して元気はありそうなフェレットは、一様にタオルをおもちゃにしてくちゃくちゃにしている。いっぽう、明らかにヤバそうなやつは敷かれたタオルの上にただ寝そべっているだけだから、タオルは悲しくきれいなままだ。ウナも、タオルをおもちゃにすらできない重態の患畜であることには変わりないのだ。
面会と同時に夕食が与えられたが、少し口をつけただけであまり食べない。食べない場合はあとで注射器を使って与えるという。とにかく食って元気をつけてくれ。
また、都合のつく限り面会にはこようと思う。
「便りがないのはいい便り」という言葉の意味は、知らせがないからには少なくとも悪いことは起こっていないはずだ、ということだ。
つまり知らせがあるときには、それは必ず悪い知らせなのだ。
バイトで、いつもより多い午前の配達を終えて1時半すぎに築地に戻り、市場の門をくぐろうとしたそのとき。
携帯が鳴った。
昼間に電話がかかってくることはあまりないから、ぼくにはその着信音の意味が分かった。
運転していたからすぐに電話が取れず、着信音は消えた。着信履歴を見ると、うなぎいぬの病院からだった。
ああ、とぼくは思った。
すぐにもう一度着信音が鳴った。
ぼくは電話に出た。
「うなぎいぬちゃんの病院です。たった今、息を引き取りました」
ああ、とぼくは思った。
ちょうど築地に戻ったところだったから、午後の配達はほかの人にまかせて、簡単に片付けだけして早退させてもらうことにした。
ぼくは急いで身支度をして更衣室を出た。歯まで磨いて、落ち着いたものだ。覚悟はしていたから。
築地から病院まではどうやって行けばいいだろうか。日本橋まで出て、東西線に乗るか。
日比谷線の築地駅から、いつもと逆の北千住行きの電車に乗った。次の駅は、日本橋だと思ったら八丁堀だった。そこで初めて日本橋は日比谷線ではないことに気づいた。慌てて車内の路線図を見ると、その次の茅場町で東西線との連絡があったから、茅場町で乗り換えることにした。
次の瞬間に気づくと、電車は茅場町を過ぎて人形町に着いていた。
ちっとも落ち着いていない。
しょうがないので電車を降り、上り電車に乗り換えて戻り、茅場町で東西線に乗った。東西線の終点、中野から少し歩いたところにうなぎいぬの病院はある。
ぼくは静かに歩いた。よく晴れていて、それでいて蒸し暑くなく、とても過ごしやすい午後だった。
土曜の昼下がりの動物病院の待合室には、いつもと同じように飼い主とフェレットたち。飼い主もスタッフもにこやかで、フェレットたちも元気で、いつもと同じようにのどかな空間だった。
ぼくが入り、受付で名を告げると、スタッフの表情が凍りついた。少しお待ちくださいと言われ、ぼくはイスに座った。すぐに、奥の手術室に通された。
先生がカルテを持ってきて、うなぎいぬの最期の様子を説明した。
あまり覚えていない。
シュークリームの箱みたいな、小さなダンボールの箱が運ばれてきた。先生が箱を開け、かぶせられた白い布を取ると、そこにうなぎいぬは寝ていた。
そう、うなぎいぬは寝ていた。
ここ数日は、丸まって寝ることもせずに、目を半開きにして重力に負けぐったりと横たわるばかりだったから、昔と同じように箱の中で丸くなり目を閉じるうなぎいぬの姿は、久しぶりに、本当に眠っているようだった。
その寝顔を見て、ぼくはもう耐え切れずにぼろぼろと泣いた。奥の手術室に通されたのは、開放的すぎる病院でも周りから遮断され、少なくとも声は聞こえないからなのだ。
安らかな顔で、まるで寝てるみたいに、と先生は言った。本当にそうだった。
あまり苦しむこともなく息を引き取ったという。あのままだったら水すら飲めず、脱水症状でガリガリになってやつれて死んでいっただろうから、最期に水も飲めるようになって動けるようになってよかったと。本当にそうだった。その体はほんの少しだけ潤いを取り戻したようにすら見えた。
先生がうなぎいぬの首筋をなで、ぼくにも「なでてあげますか」と言った。うなぎいぬが硬くなっていたり、冷たくなっていたりしたら声をあげて泣いてしまいそうで、ぼくにはさわれなかった。
のどが詰まり声が出せないので、ただ首を横に振った。
先生の説明や、連れて帰ったあとの処置についてのアドバイスにも、ただうなづくことしかできなかった。
うなぎいぬが眠る箱は、入院するときに持ってきたカゴの中にすっぽりと収められ、ぼくは来たときと同じようにカゴだけを持って病院をあとにした。奥の手術室から出てきたぼくの様子を見て、待合室の飼い主たちにもその中で起きたできごとの意味がわかったようで、いつものように和やかだった院内の空気が一瞬にして冷たくなった。
その病院では、飼い主と患畜が帰るときにはスタッフがいっせいに「お大事になさってください」と声をかけるのが決まりになっていた。または、患畜が入院して飼い主だけが帰るときは「お預かりします」。
ぼくらが帰るときには、スタッフは口々に「お気をつけてお帰りください」と言った。元気なフェレットたちだけが相変わらず跳ね回っていた。
やっぱり、カゴは軽かった。
電車を乗り継いで家まで1時間ほどはかかる道のりだったが、ぼんやりと、あっという間にぼくらは家に着いた。
家に帰って、ぼくは一人で改めてうなぎいぬのなきがらと向かい合った。
カゴから箱を出し、箱を開け白い布を取ると、やはりうなぎいぬはそこに寝ていた。抱き起こすと、思っていたように硬くも冷たくもなく、弾力があり、なでると耳なんて以前と同じように指の動きに沿ってたわみ、戻り、全く寝ているみたいなんだ。下になっている右ほおの毛が箱の底にそって少し平らになっていたけど、寝起きのうなぎいぬはいつもそんなふうになっていたよな。
ぼくはまた泣いた。
ベッドの上にうなぎいぬを乗せてみた。丸くなって寝ているうなぎいぬ。呼吸をしているようにさえ見えて、ぼくははっとして、でももちろん息をしていない。
ぼくは泣いた。うなぎいぬは寝ている。
先生のアドバイスどおり、保冷剤でなきがらを冷やすことにした。冷凍庫にあった保冷剤を箱の底に敷き、ベッドからうなぎいぬを抱き起こした。頭ががくりと落ちて下を向き、綿が詰められた鼻と口から何かの体液が少し染み出て、白い布にピンク色ににじんだ。
そう、うなぎいぬは死んでいる。寝ているようだけれど、もう起きない。
でも、ほんとうに安らかな寝顔なんだ。悲しいけれど、ぼくはどこか救われた。
ぼくはうなぎいぬがあんなふうになってしまったころから、覚悟はできていた。いやもっともっと前から、いつかうなぎいぬがいなくなる日がくることは考えていた。外出しているときなんかはいつも頭の片隅にうなぎいぬがいて、エサは足りているかな、水がなくなっていないかな、帰って死んでいたらどうしようと少しだけ考えていた。帰ってハンモックから首をもたげるウナを見ると、いつも少しだけほっとした。家にいるときも、うなぎいぬが深い呼吸で眠っていると、まるでその呼吸が止まっているんじゃないかとはっとして見入り、次の呼吸を待った。
別にそのときはウナの体調が悪かったわけでもない。ただ、ほんの少しだけいつもウナのことを考えていた。まるで、うなぎいぬが生きていることを確認することが、ぼくが家に帰り家で過ごす理由の一つだったみたいに。
だから、ウナがあんなふうになったときには、ついにそのときが来たかと思ったのだ。あんまりウナが苦しそうだったから、なんとかしてその苦しみを取り去ってやりたいと思った。神には祈ったけれど、その祈りは「元気にしてください」ではなく「これ以上ウナを苦しませないでください」だった。元気になるのでも死んでしまうのでも、どちらでもいいから、とにかくこれ以上ウナを苦しませないでください。
先生が言うように、それはできる範囲でできたんじゃないかと思う。そんな幸せな死に顔だ。
最初にうなぎいぬの様子がひどく悪くなったときに、ぼくはそのウナを置いてバイトに行かなければいけなかった。そのときも覚悟はできていたつもりだったけれど、仕事中にふと、出かけるときに最後にウナを抱きしめてやるのを忘れたことに気づいた。だから帰って死んでいたらどうしようと急いで帰った。帰ってドアを開けるとまだウナは生きていた。そして思う存分抱きしめて、病院に連れていってあげることができた。ウナは最期に少しだけ燃え上がる命の灯まで見せてくれた。
苦しんだまま死んでいたら、抱きしめることができずに死んでいたら、ぼくは一生後悔しただろう。いい病院で最善を尽くし、少しだけ元気を取り戻して、あっさりと、安らかにうなぎいぬは眠った。
亡くなるほんの10日前に、ウナが膝の上でまどろむ時間が持てたことを幸せに思う。
悲しいけれど、悔いはない。ただありがとうと言える、いい別れだったよ。
***
ペットが死んでも飼い主は、何事もなかったかのように日常を変わらず営まねばなりません。少しつらいけれど、それがすべからく残されたものの使命であり、死にゆくものへの供養の一つでもあるのでしょう。
あしたから一人になっても、ぼくの日常はいつもどおりです。あしただってプロレス観戦ツアーを催行するのです。あさってからは仕事です。ぼくはいつもどおりですから、みなさん気にせずいつものように接してください。
ただ、このサイトだけはしばらくうなぎいぬ追悼仕様にしたいと思います。しばらくの間うなぎいぬのことばかり考えて書くことになります。追悼仕様といっても手っ取り早く背景色を変えただけなので、各所でサイトのデザインが崩れてしまうのはとりあえず目をつぶってください。
そして書きたいことがすべて書けたら、何事もなかったかのように、サイトもまたいつもの日常に戻ります。
あしたの日曜日、うなぎいぬの葬式を行います。
基本的にはすべて一人で執り行うつもりですが、もしよかったら参加してください。14時半から、登戸の近くのペットの霊園です。プロレスを見に行く人も、葬儀を終えて電車で水道橋に行くとちょうどプロレス観戦ツアーの集合の5時になるようなスケジュールになっています。参加したいという人がいたら連絡をください。
別に無理して来る必要はありませんよ。二人っきりで最期の別れを惜しむというのも、ぼくらの心の中に残る思い出になります。でもここまで読んでくれた人や、実際にうなぎいぬに触れたことのある人がきてくれたら、ぼくとウナの寂しさも少しはまぎれて違った意味で素敵な式になるんじゃないかとも思うのです。来れなくても、火葬の時間、そうですね、3時ごろでしょうか、少しだけうなぎいぬのことを考えてくれたら。それだけでもぼくらはうれしいです。
土曜日にうなぎいぬの遺体を家に連れて帰って、その夜は小屋で寝かせてあげることにした。
家にいた最後の数時間は立てずに小屋を這うよう動いて体が汚れてしまったから洗ってあげたかったけど、それはできないので代わりに小屋を洗った。せめてもの死化粧だ。ハンモックは洗わずにおいた。だって自分の匂いが消えるのがいやなのか、ハンモックを洗うといつも不機嫌になるんだもん。
病床モードで1階建てにしていた小屋を元の2階建てに戻し、ハンモックをつるし、その中にウナを寝かせてあげた。駅前の花屋で仏花を買ってきて小屋の前に備え、小屋にはウナが大好きだった小さなカエルのぬいぐるみをぶらさげてやった。噛み心地がいいのか、いつもそれを咥えて走り回っていた。見るたびに部屋のすみやらベッドの陰やらシェルフの下やら、違うところに落ちていた。カエルはウナを見つめる格好になって、ちょっかいを出されなくなって少し寂しそうにぶら下がっていた。
いつものようにエサと水もあげた。水ボトルを変えると、冷たい水はうまいのか寝ているときでも必ず起きて水を飲んだものだけど、もちろんウナは起きなかった。フェレットバイトも、エサの上に大盛りであげた。大サービスだぞ。こんなに甘やかしてやるのは最後だぞ、とぼくは語りかけた。
そう、これが最後なんだ。
うなぎいぬはフェレットバイトが大好きだったけど、虫歯になられても困るからいつも少しずつしかあげなかった。指先にフェレットバイトをちょっとだけつけて鼻先に突き出すと、ウナはいつもあっという間に舐め終わった。きのう書いたようにウナの命が消えることは常にぼくの頭のどこかにあったから、舐め終えても未練たらしく指を舐め続けるウナを見ながら、このフェレットバイトのチューブが空になることはあるのだろうか、なんてときどき考えたりしていた。
果たして、チューブは空にならずにウナは死んでしまった。こんなことなら、けちけちせずにいつも大盛りであげていればよかったなと、少し胸が痛んで涙が出そうになった。
でもきれいになった小屋の中で、エサと花と友だちのカエルに囲まれたウナはとてもかわいかったから、ぼくは笑った。
何度も言うが、本当に眠っているようだった。「まるで寝てるみたいだ」じゃなくて、本当に寝ている。これまでも深く眠るウナの次の呼吸を待ってほっとすることを繰り返していたけど、死んだあとも、じいっと見ていると息をしているように見えた。ちょっとサービス過多だけど、それ以外は何もかも昔と同じだった。眠っているように見えるというのはウナの死を受け入れられないという意味ではなく、ただ本当に昔と同じなのだ。
小屋はぼくのベッドの脇に置いて、ぼくらは二人で寝た。
少しだけ眠り夜が明けると、ウナはやっぱりいつものように寝ていた。
しかしその寝顔を覗くと、小さな黒い点が見えた。ぎょっとした。小バエがたかっている。確実にうなぎいぬからは魂が抜け、少しずつ肉体からモノに変化しつつあるのだ。もう、冷やしてそのスピードを少しでもゆるめないといけない段階にきている。ハンモックから体を起こし、ダンボール箱の底に保冷剤を敷いてその上にウナを乗せた。納棺である。
その日のぼくは超多忙であった。なにしろ日曜日はウナの告別式のあとプロレス観戦ツアー。平日も2バイトでひいこらしているのに、休日も2イベントである。でも闘魂ガイドぜんぜん作ってなかったし、ウナの火葬のあとに骨を少しもらって帰ろうかと思って小さい箱を用意することにしたのだが、それを買いに行かないといけなかった。その他準備もろもろ。しかもそのちょうどいい箱がなかなか見つからなくて。下北じゅうを1時間くらい歩き回ってやっと見つけた。闘魂ガイドは超やっつけで作った。印刷はしたがホチキス留めが間に合わず、17部のうち最後のほうはあきらめて現地で留めることにした。
そんなことをしていたら・・・なんと喪主および故人の棺が大遅刻!2時20分に、登戸から南武線でひと駅の中野島というところに集合と告知していたのですが・・・その時間ワタクシはまだ下北沢にいました・・・・素敵なタイミングで遅刻グセ炸裂。
時間がなかっただけでなく、とにかくこの日は全ての行動が裏目に出て失敗する。携帯でペットの斎場や参列者に遅れる旨を伝えているうちに、登戸で乗り換えるはずの小田急線を乗り過ごす。登戸の次の向ヶ丘遊園で降りて、ホームの向かいの上り電車を待つ。けっこう待って到着した電車は・・・あれまた下り?1番線2番線とも下り電車で、別のホームの3番線4番線が上り電車という罠!ちゃんと書いとけよ!(ちゃんと書いてある)
ええいここからならもうすぐだろう、降りて車で行こう!と駅前でタクシーを拾うが、はたして道は大渋滞。駅のロータリーを抜けるのに10分くらいかかる。ロータリーを抜けてぐるっと回ったところに踏み切りがあってタクシーが止まり、目の前を小田急線の上り電車が走って行くのを見たときは思わず笑ってしまった。
でも、なんだろう、家を出るのが遅れたのも、ウナがもう少しだけ家にいたかったからなんじゃないかな。タクシーで行くことになったのも、最後にそういう落ち着いた時間をもうけてくれたんじゃないかな。のんびり走るタクシーの中で、考えてみると家を出てから初めてウナの棺を膝の上に乗せて座っていることに気づき、なんとなくそう思った。
ま、遅刻の言い訳なんですけどね。落ち着いてる場合じゃないんですけどね。持ち味を存分に発揮し、なんと到着は3時10分ごろ。黒いカリスマ主婦さんに「ぽい!ぽい!」と言われました。いやあ、ごめんなさい。
さて告別式ですが、前日にHPで呼びかけただけなのになんと4名も参加してくれました!黒いカリスマ主婦さん、マイティボンジャック&チンプイ、しの、どうもありがとう。しのなんて他の人とは面識がないし生前のウナを見たこともなかったのに。無理やり呼んだ感もあるけど、みんないやな顔せず遠いところを集まってくれて、感謝です。
ぼくは、葬式なんでネクタイをすることにしたけど、ここはひとつ派手に行こう!と思って黄色いパンツでキメた。そう、派手にいかないとね。しみったれたのは大きらいだから。だから体を張って遅刻までしてどたばたムードを盛り上げたわけですよ。ま、遅刻の言い訳なんですけどね。
駅のすぐ近くの斎場はとてもきれいでいい感じのところだった。個室に通され、おかげで(?)暖まった雰囲気の中で、和やかにぼくらはそのときを待った。式の内容を書いて渡された紙に「ペットのお名前:うなぎーぬ」と書いてあってウケた。電話で確認され「ひらがなです!」とは念を押してあったのだが。「ソシュルシルブプレ、ウナギーヌ?」「ウィ、ウナギーヌ」とか、にせフランス語会話をして笑った。まるで告別式なんかじゃないみたいに楽しかった。
でも準備が整えられ、係の人に呼ばれて別れの部屋に通されると、ぼくらはそこが別れの場であることを一気に思い出すことになる。
そこには、小さな盆に載せられたうなぎいぬがいた。ぼくが持っていった花と、フェレットフードをなめるウナの写真が飾られ、カエルのぬいぐるみが添えられ、白い布を被せられてうなぎいぬは寝ていた。黒いカリスマ主婦さんが「かわいい・・・」と言って泣いてくれた。本当にそうだと、ぼくも思って泣いた。
やっぱり寝ているみたいだった。でももう魂が抜け、硬くなっていることはわかっていたから、今度こそぼくはウナに触れることができなかった。かわりに、やっとの思いで声を絞り出して「エサをあげてもいいですか」と係の人に聞いて、ウナの口元にエサを落とした。
金属の盆にエサが落ちて、カラカラとまぬけな音を立てる。もちろんフェレットバイトもあげる。指で口元にフェレットバイトをもっていっても、もうきれいに舐め取ってくれるうなぎいぬはいないから、盆にそれをなすりつけるしかない。涙を拭いたハンカチで、フェレットバイトのついた指を拭く。そのハンカチを握り締めて涙を拭くから、手も顔もべたべたになる。みっともないくらいにボロボロだ。みっともないくらいにぼろぼろと、ぼくは泣いた。
式は簡素で、みんなでウナの最後の顔を見て、用意された花びらを焼香みたいにウナの前に置かれた皿に移して手を合わせた。ぼくは「安らかに。ありがとう。これから見守ってくれ」とあたりまえのことを祈った。式は全部でほんの10数分くらいだったろうか。でもいい別れだった。これまで「いい葬式」なんて「不幸中の幸い」みたいなもんで、なんの慰めにもならない言葉の遊びだと思っていたけれど、ぼくは、これこそはいい葬式だったと、心から思ってうれしかった。
控え室に戻り、集まってくれたみんなに感謝を述べた。こんなに幸せなペットは、そうそういないと思う。飼い主以外の人まできてくれて、それ以外にもサイトを見たたくさんの人が電話で、メールで、BBSで、心配してくれて励ましてくれて死を悼んでくれた。来れなかった人でも、たくさんの人が3時にウナに向かってそれぞれの思いを送ってくれたはずだ。
ま、3時にはまだ到着してもいなかったんですけどね。あーはは。笑ってよ!楽しい、いい葬式だったんだよ。そしてみんな本当にありがとう。ウナも喜んでいると思います。
ほどなく別の部屋に呼ばれ、だびに付されたうなぎいぬと本当に最後の別れをした。
盆の上のうなぎいぬは、友だちのカエルとともに燃えつきて小さな小さな灰になっていた。もう眠っているようには見えない。ぼくは、いつも心の隅に小骨のようにひっかかっていたうなぎいぬの死への恐怖にさいなまれることはもうない。現実に近いたその死に心を痛めることもない。ウナも、もう苦しくはない。
あらゆる意味で、ウナは完全に天に昇ったのだった。いい葬式で、ぼくはすがすがしい気分だった。丸まって眠った姿勢を残したまま残る小さな骨たちはとてもいとおしかった。箸で骨を拾った。動物のくせに、のど仏もちゃんとあるのだ。
持参した小さなプラスチックケースに、そののど仏と歯を取ることにした。遅刻してまで探しただけあって、とてもきれいな黄色い箱だった。その中には、愛用のハンモックを切って入れて下敷きにしておいた。冬用の布製のハンモックだったが、4月ごろに冬用から夏用に変えたときにめんどくさくて洗わなかったから、箱を開けるとウナの匂いが残っていて機嫌をそこねずにすんだ。炊き立ての、ごはんの匂いだ。ただしとてもけもの臭い。すてきなウナの匂い。ハンモックの中に、のど仏と歯がちょこんと納まった。
遺毛を取ってあって、係の人が紙に包んで渡してくれた。薄い白い和紙に包まれて透けて見える2センチ×5センチくらいのその毛の塊を見て、ぼくはびっくりした。横に長く、まるで小さなうなぎいぬみたいなのだ。その和紙の包みを折りたたんで、黄色い箱の中ののど仏と歯の上に置いた。
うなぎいぬは、小さく小さくなった。
日曜日は、そのあとプロレス観戦ツアーだったのだ。葬儀を終えみんなで後楽園ホールに向かった。続々と集まって、総勢15名。体調不良等で来れない人が2名出たのが残念だけど、これだけ集まれば上出来です。みんなありがとう。喪が明けて通常営業に戻ったらまた書きます。
17時ゴングの「ルールミーティング(0次会)」から18時半ゴングの試合(これが本題、いちおう)も、その後の「場外乱闘(2次会)」も、飲みに飲んだ。月曜日はバイトなのでいちおうセーブしたつもりだったけど、疲れと空腹で思った以上に酒が効いた。
正直、プロレスの内容は最後のほうは覚えていないのだ。長井VS永田で長井がけっこうがんばっていたあたりまでは覚えているけれど、セミの柴田VS中邑がノーコンテストになったのはよく覚えていない。メインはぜんぜん覚えていない。それどころか2次会に行ったのは知らない。ゆうべはカラオケは行ってない・・・よね?
久しぶりに痛飲。酩酊。起きたら8時。あーはは、超ド級の大遅刻。完全に二日酔いなので休んじゃいたかったが、悪いことに配達の社員のひとりに不幸があって人出が足りず、いまからでいいから来いと言われた。築地に行くとタッグパートナーのバカモトさんは別の便で出ており、車と荷物が用意して置いてあって、二日酔いというか完全に飲酒運転の状態で、ミスをしまくりながらなんとか配達した。ちなみに、夜のバイトはウナを病院に連れて行った日からお休みをいただいております。ふふふ、ダメ人間。
いつもなら飲みすぎたり寝坊したりすると落ち込むものだけど、でもここまで飲むと今日は逆に気持ちがよかった。きのうは「思った以上に効くぞ」と途中で気づいたが、まあいいやと思ってもっと飲んだのだ。まあいいじゃない、葬式だもん。
プロレス観戦ツアーのほうは、今回は興行主としては失格。 ウナの死のさなかで準備は不十分、肝心の闘魂ガイドもやっつけだったし、「プロレスは、家に帰るまでがプロレスです!」とかのギャグも用意してあったのに、そのセリフを言うどころか2次会に行ったことすら不明。どうやって帰ったのかも不明ですが、テーブルの上にタクシーのレシートがあるので、金額と今日の日付から推測するに、おおかた寝過ごして富士見が丘あたりからタクシーで帰ってきたのでしょう。内容はあまり覚えてませんが、「プロレスがおもしろいほど次の日声が枯れる」というバロメーターに照らし合わせれば、そっちも相当おもしろかったのでしょう。
プロレス観戦ツアーとたくさんの酒は、ぼくにとってウナへの追悼の10カウントのゴングでした。前に、ぼくが死んだら「色鮮やかで笑いの絶えない式にしてほしい」という話をしたけれど、まさに今回がそんな式だった。
ここまで書いてみて改めて、ペットのくせに実に儀礼にのっとった一連の式だったなあと思う。連れて帰って小屋で寝かす、つまり通夜だ。そしてみんなで参列して斎場で焼香し、火葬して骨を拾った。意識してやったわけじゃないんだけど、人間の葬送と全く同じ流れだった。
儀礼にのっとったからいい葬式だったと感じるわけではない。宗教によって儀式が違うくらいだから、儀式はしょせん儀式であって本質ではない。大事なのは死者に対する悼む気持ちだ。例えば、織田信長といえば父の葬儀に普段着でやってきて香を祭壇に投げつけたというエピソードが有名だけれど、それが信長なりの追悼の念の表現のしかたであれば、それはそれでいい葬式なはずだ。(そのエピソード自体はかなりの確率で後世の伝記作家の創作だと思うけど。)
そう、大事なのは追悼の念を表現すること。
ぼくはここ数日ですんごい量の日記を書きました。日記ばかり書いて睡眠も食事もほとんど取らず、体が磨り減って感覚だけが研ぎ澄まされていくようでした。
でもおかげで、うなぎいぬに対する自分の気持ちがきちんと整理できたと感じる。いい病院で苦しみも和らげてあげることができたと思うし、いい斎場でいい別れができた。だからぼくはすがすがしい気持ちでウナを送り出すことができた。悲しいけれども全然つらくない。
ぼくの追悼の念はみんなに伝わって、みんながそれぞれにウナの死を悲しんでくれた。こんなに多くの人に心配して悲しんでもらえたウナは幸せだし、ぼくは表現の力と自浄作用を改めて感じた。
きょうバイトを終えて家に帰ってやっと落ち着いて、そういえばカメラを持っていったのにちっとも写真を撮らなかったことに気づいた。ぼくは写真は日記のネタ以外にはほとんど撮らないし、仮に撮ってもめったに後で見ないたちだが、さすがに葬式の様子くらいは記念に納めておこうと思ったのに。だからちょっと後悔したが、よく考えるとちっとも後悔することはないと気づいた。
だってぼくはここで自分の思いを100%表現した。それがぼくの記録の残しかたであり、追悼の念の表現のしかたなのだ。あとで眺めて思い出すために写真を撮るのと同じように、ぼくはここでそのときの情景と自分の気持ちを表現したのだ。文章はぼくの心の表現で、文章は決して色あせないから、うなぎいぬも死なずにぼくの心の中でいつまでも生き続ける。
生前のウナの写真も、日記のネタ用のやつがけっこうあるけど、それ以外にはあんまりない。だけどぼくはこれまでにウナについて山ほど日記を書いてきた。日記を読めばウナのことを思い出せるし、ウナはこんなペットだったんだよってことをだれかに伝えることもできる。それらはぼくにとって、写真より大事で色鮮やかなウナの思い出だ。
落ち着いて改めてウナの遺骨を納めた箱を開けて見てみると、持ち運んでいるときに少し欠けたか、小さな骨の破片が散らばっていた。それを拾うと、ぼくはためらわずに、その骨のかけらを水といっしょに飲み込んだ。
そう、うなぎいぬはぼくの中で永遠に生きるんだ。
ああ、すっきりした。
動物病院に支払った金額の明細を改めて見てみる。入院費、治療費総額3万6000円。意外と安かったなあと思う。動物病院ならもっと、10万とか平気で行くと思っていた。
もちろんそんなに安い金額ではない。入院1泊8000円。朝のバイトが実働8時間でちょうど日給8000円。夜のバイトは休んでいて収入ナシだったから、つまりぼくはこの間ウナの治療費を捻出するために働いていたようなもの。いや、入院費のほかに治療費があり、ぼくの家賃その他の生活費があり、それを考えると働いても日々マイナスか。
でもけっきょく2泊で治療は終わった。ぼくに気を使ってか動物病院の先生は詳しくは話さなかったが、最期の夜は通常の入院ではなく酸素室というのに入っていたのが、明細からわかる。酸素室は1泊1万円である。金曜の夕方6時に見舞いに行ったときにはまだ普通に動いていたから、その後容態が急変して酸素室に入り、それからしばらくして亡くなったということだ。
これが長引けば・・・1日ごとに1万円が加算されていたわけだ。ウナは自分が苦しまずにすんだと同時に、飼い主も苦しめずに死んでくれたんじゃないかなあという気がする。
そしてペットの斎場、1万8900円。ものすごく安いところをネットで発見したし、その中でも体重1キロ未満の最も安いコースであった。(ほかのところだと、個別火葬ならフェレットで4万円とか。)ウナは死の直前にがりがりにやつれ、最期に体重は900グラムになった。契約体重1キロに合わせ、最期の減量を敢行したわけだ。
最も愛した飼い主だから許される不謹慎な解釈をすれば、うなぎいぬは何もかも都合のいいタイミングで死んでいったと思う。
さらに、うなぎいぬの死んだタイミングについて考えてみた。
土曜日の昼過ぎ、むちゃくちゃに忙しかった朝の配達を終えて市場に帰って門をくぐる瞬間にその訃報は飛び込んできた。仕事はひと段落ついたところで、おかげでぼくはその場で切り上げて病院に向かうことができた。引き取って連れて帰り、葬儀の手配をしてから通夜をとりおこない、日曜にみんなを呼んでいい式を行うことができた。
これが別の日、別の時間だったらどうか。平日に亡くなっていたのだったら、ゆっくりと別れはできなかった。同じ土曜でも朝だったら仕事を抜けるわけにはいかず、夜だったら日曜の葬儀の手配がつかなかった。
バイトに支障をきたさず、それでいて満足な式を行うためには、あの時間以外にはありえなかった。土曜は午前の配達でフラフラだったから、早めにあがる口実を設けてくれたようにすら思う。
なにもかも、ベストのタイミングだった。
ぼくはいつもウナが死んでしまうことを考えていたから、いったいその死はどんなタイミングで訪れるのだろうということも考えていた。その死はなにか自分にとって意味のある瞬間であるのだろうと。
たとえばお店ができてオープンする前の日、とかね。
さすがにいつどうなるともわからないお店まで待つのはちょっと無理だったようだが、それでも今という時期には意味があった。ぼくは3月に会社をやめ、でもその後どこに向かってもスタートすることができずに2ヶ月ほどぐうたらして、それからようやく立ち上がることができた。そうして一ヶ月ほどして、もがいてはいるけれど少しずつ前に向かってはいるぼくの様子を見て、もうそろそろ大丈夫、とウナは思ったんじゃないだろうか。そしてその中でも一番のタイミングを選んで死んでいった。
こういう考えをするのは感傷的にすぎるというのはわかっているけど、避けられない死に何らかの意味を与えるのは死者を愛した者の最後の務めのような気がする。成仏とか冥福というのはひとつには残された側の問題であって、残された者が死に納得のいく意味を与えることが、死にゆくものの成仏のひとつの形なのではないだろうか。
うなぎいぬの死のタイミングは、ぼくにとって意味のあるものであった。
そして、そのタイミングについては、もうひとつ語るべきことがある。
うなぎいぬの死の意味する、もうひとつのタイミング。
実は、ウナを病院に連れて行った日から夜のバイトはお休みをいただいていました。
夜のバイトではピアスは禁止されており、とうぜん仕事のあいだは外していました。4月の終わりに開けたピアスは2ヶ月近くが経ってちょうど穴がふさがりかけだったのですが、もう少しのところで外したりつけたりしていたのでなかなかきちんとした穴にならず、まだ少し変な汁とかがでていました。ですが1週間ウナの看病と忌引で休んでいる間につけっぱなしにしていて、おかげでちょうど穴が完成したのです。
いやあ、いいタイミングだった。よかったよかった。
なんてね。さんざん引っ張ったあげくそれかよ、と。もちろん違います。
ピアスの穴の話ではなく、ぼくの心の穴の話です。
うなぎいぬ追悼トップページを見て、「享年4歳」におや?と思った方もいたでしょう。それまでの日記でくりかえし、「よくわからないけど6歳くらい」と言っていましたからね。
ぼく自身も、初めて改めて考えてみて、おや?と思いました。
これまで、うなぎいぬの本当の年齢を考えると残りの余命も分かってしまうので考えないようにしていたから歳がわからない、という話をしていました。それは本当です。
でももうひとつ、考えないようにしていたことがあります。
そのことについて語るためには、うなぎいぬの生い立ちについて思い出す必要があったのです。
実は、ウナを飼い始めたのは、ぼくではありません。
ぼくは昔、ある女性といっしょに暮らしていました。
ウナを飼い始めたのは、ぼくではなく、その女性でした。
やがてぼくらは結婚し、そして、ありがちなことにすぐに別れを迎えました。
結婚する前、うなぎいぬが初めてぼくらの家にやってきた当初は、あくまで同棲相手のペット。ぼくはかわいいしぐさに心ほだされつつも、本音のところでは、よく噛む臭いやっかいな生き物くらいにしか思っていませんでした。
やがてぼくと彼女とは結婚し、離婚して、ウナは初めその女性に引き取られていきました。が、しばらくして「飼えないので預かってほしい、できればずっと」という連絡がありました。
そのときから、ウナとぼくの間には奇妙な心の結びつきが生まれました。捨てられた男どうし肩寄せ合う、奇妙な結びつき。いつしか、ぼくと彼女の間でのうなぎいぬを巡るやりとりを、ぼくは「親権問題」と呼んでいました。ぼくと彼女の間に子どもはいなかったけれど、別れてから、ぼくにとってはまさしくウナが初めての子どもになったのです。
そしてぼくはうなぎいぬを、ぼくなりのやりかたで愛するようになりました。
でも、やはりぼくにはウナの歳を数えることはできませんでした。それはぼくと彼女がいっしょに暮らしていたのが、いったいいつのことだったかを考えることでもあったから。もうとうに昔のことで、覚えてすらもいないのだけど、懐かしく思い出すほどには昔ではない、ふさがりかけの心の穴。それをほじくり返すのがいやで、ぼくはウナの歳を数えることができなかったのです。
数えてみると、ウナが家にきたのは4年前。ぼくらが離婚してからちょうど2年。
それだけ。
それだけのことを、この二週間書こうとして、なかなか書けなかったね。
最初はすんなり書けると思ったのだけれど、だから「もうひとつ語るべきことがある」なんていって前の日記を終わらせたのだけど、でも書けなかったね。
すんなり書けると思ったのに、書き出したらなぜか手が震えた。震える手をビールでごまかしたらぐにゃぐにゃになってもっと書けなくなった。なんとか書いてみたらちょっとにしかならなかったから、もっと書くことはあったはずだと思って考えていたら、けっきょく何を書きたかったのかますますわからなくなった。
それにあれだけの壮大な鎮魂歌をぶっちぎったあとに普通の顔をして何を書けばいいかもわからなくなった。同時にバイトは再びフル稼働になり、だから日記はしばらくお休みになって、言葉はオリのように心の底に溜まり、部屋の隅に溜まり、部屋は荒れ、心も荒み、心身のバランスを崩して日曜も一日にカップ焼きそば一個だけ食ってすごしたりしていたのである。
文章にすれば数行のことだったんだ。一度結婚して、離婚したというだけのありふれた過去。これを読んでいる人の中にも、このことを知っている人はけっこう多いだろう。日常生活では、別に隠しているわけではなかった。
でもここではそのことについて書いたことはなかった。それだけのことを書くのに、ぼくはひょっとすると二週間どころか二年間かかったのかもしれない。ぼくがサイトを始めたのはちょうど離婚した後のことで、話をする相手がいなくなったからひとりごとを言うためにホームページで日記を書き始めたのだ。でもぼくは決してその過去に触れることはなく、ただいつも寂しそうなふりだけをしていた。
やがてぼくのひとりごとに耳を傾けてくれる人もじわりじわりと増えてきて、ぼくは自信を取り戻し、このひとりごと遊びが大好きになった。
だけどやっぱり、ぼくがなぜひとりごとを言うようになったのかについては書くことができなかった。それについてもいつか書く必要があるとは思っていた。そして離婚をきっかけに予期せず二人暮らしをすることになったうなぎいぬの死というのは、それを書くよいタイミングだとも思っていた。
ひょっとするとぼくは、いつかウナが死に、ぼくがその離婚についてここで書く日をずっと待っていたのかもしれない。ウナが死ぬのを恐れながら、その死を待っていたのかもしれない。
いまも、何を書いていいのかよくわからないし、こうして書いていてもすべて書けてすっきりしたという思いからはほど遠い。でもようやく最大の隠し事から解放されるような気がして、少し気が楽になりつつある。
ウナが入院したあと、いっしょに暮らしていた人に電話をした。最初は、7月10日まで海外にいるという留守電が流れて連絡はつかなかった。3日にウナが死に、その事実をメールで送っておいた。やがて連絡があり、線香をあげたいというので彼女がぼくの家に来ることになった。
家にきた彼女は、2年前と少し目の感じが違うような気がした。あたりまえだ。2年という歳月は人を大きく変える。彼女もぼくの姿を見て「・・・なんかずいぶん変わったね」と言ったが、どうして変わったのか、いまぼくが何をしているのかは聞かなかった。ぼくも彼女が何をしているのかは聞かなかった。
ぼくは彼女に、ウナの最期の様子について話してやった。ぼくは、それこそ短編小説になるくらいの量をここで書いていたから、話すことはいくらでもあった。でも彼女はあまり興味がないようだったから、じきに会話は続かなくなった。
ぼくはウナの遺骨と遺毛の入った箱を開けた。ぼくは最初に遺毛を見たときにまるで小さなうなぎいぬだとびっくりしたから、そう言って彼女に見せた。でも彼女は「これがウナちゃんには見えないね」とだけ言った。
そして彼女はオレンジ色の箱とウナの写真に向かって3秒ほど手を合わせ、目を開けると、おもむろにバッグに手をかけて立ち上がった。
滞在時間、わずかに10分ほど。
「じゃあ、また」と言って彼女は玄関に立った。
じゃあ、また。その「また」はもうないだろうと、ぼくは思った。
ほとんどの人は経験がないだろうが、ただの付き合っているカップルが分かれるのとは違い、元夫婦というものは離婚をしてもいろいろと会う機会がある。手続きやらなんやらだ。子どもがいればなおさらだろう。ぼくらに子どもはいなかったが、うなぎいぬがいたから、その引渡しなんかで会う機会もあった。たまに「ウナ元気?」とメールが来ることもあった。
だけどウナが死に、もう二度とそういうことはないのだとぼくは思った。本当は、家にきた彼女にはっきりと「もう二度と会うことはない」ということを伝えて区切りにするつもりだった。
だけどそれを言う間すらなく、彼女は「じゃあ、また」と言って玄関に立った。
ぼくは何も答えずに手を振って、彼女がドアを閉めたあとに、玄関のカギをかけた。いつも家にいるときにカギなんてかけることはないのだが、それくらいしかぼくにできることはなかったのだ。別れの言葉の代わりにカギを閉めた。
うなぎいぬが死んでからしばらく経つ。頭はその死を完全に受け入れていても体はウナのいる生活を記憶していて、たとえば通り過ぎようとして空っぽの小屋をけとばしてしまったときなんかに、ふと「起こしてすまん」とハンモックに目がいってしまう。外から帰ってドアを開けると、なんとなく空っぽの小屋に目でただいまを言ってしまう。
もうそれは空っぽなのだ。忙しくてそのままになっていたけれど、片付けることにしよう。
大きなゴミ袋の中にカゴをたたんで入れた。余ったエサや外出用のケージや、その他もろもろもすべて捨てた。袋に3つの大きなゴミをかかえてゴミ捨て場に運んだ。ゴミ捨て場に並んだカゴは、正真正銘の燃えないゴミだ。燃えないゴミたちにバイバイと手を振って、ぼくは家に戻った。
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