築地の人々 女の子編

2004/6/11

築地には意外と女性もたくさんいます。会社の事務の人とかもいるし、それだけじゃなくてぼくらと全く同じような仕事をしてるひともけっこういるのです。力仕事といっても引越し屋みたいにむちゃくちゃ重い荷物を運ぶわけではなく、ちょっと重いものをたくさん運ぶ労働だから、女性でも根性さえあれば立派に勤め上げられるということでしょう。
とはいえ「意外と」多いというだけで、「東工大に比べれば東大には女の子が多い」という程度なもん。若い人はほとんどいません。おばちゃんばっかりです。いや「おばちゃん」などと言ってはいけません。築地での女性の二人称単数は「おねえさん」です。おば・・・いえ、「おねえさん」と呼ばないと彼女らは伝票を打ってくれません。初日に厳しくそう教えられました。


しかし、そんな魅惑の築地市場において、実はとびきりのマドンナ的存在がひとりいるのです!

朝は電車の本数が少ないから、出勤するほとんどの人はいつも決まった電車に乗ってきます。ぼくがいつもの下り電車を築地で降りると、同じ時刻に到着する上り電車から決まってそのマドンナは降りてきます。年のころはぼくと同じくらい。いつもTシャツにジーンズで派手さはないのですが、とてもスタイルがよく渡辺満里奈似な感じの、ちょこちょこ歩くかわいらしい人です。場内で見かけたことはないので、たぶんどこかの会社の経理かなんかの仕事をしているのでしょう。

とはいえ、その子がかわいいという話をここでしたいわけではありません。むしろ、その子をめぐる周りの男たちの反応がおもしろいのです。

ぼくはたまたまそのマドンナと同じ電車で、駅からいっしょに歩いて場内に入っていくわけです。彼女のすぐ後ろを歩いて会社まで行くこともあります。すると・・・彼女が通るとすれ違う男ども男どもが一様に彼女を見る!凝視!全員が見ると言っていいくらい見る!中には彼女が通り過ぎたあとに「いよっしゃ〜今日も一日がんばるぞー!!」と叫ぶ男まで。どうやら朝の活力剤となっているようです。確実に彼女は築地の男たちの視線を集めているのです。

女の子は、例えば男がなにげなしにさりげなーく胸を見たつもりでも「見られている」というのはばっちりわかる、ってな話を聞きますが、確かに朝の築地で彼女の後ろを歩くと、はっきりと「男は女の子をじろじろ見ている」というのがわかります。男ってバカだな、と思います。
よっぽど若くてかわいい女の子が珍しいのでしょうか。ぶっちゃけ銀座で降ろせばどってことない女の子なのですが、彼女は2駅となりの築地の朝5時半においてはとびきりのマドンナなのでございます。

自分に自信が持てないというアナタ。ぜひ早起きして朝の築地を歩いてみてください。きっと今まで体験したこともないようなモテモテ気分が味わえるはずです。

お金の使い道

2004/6/12

お〜かねもないし〜
じ〜かんもないし〜

このところ、アパートの更新なんかのまとまった出費が続いて貯金が一気に減りました。
あと国民年金。退職すると「無職」ということで年金の免除が申請されますが、適用されるのは4・5月の2ヶ月だけ。6月から来年3月までの10ヶ月分の年金の振込用紙が届きました。毎月払い続けるのはめんどうなので、10ヶ月分まとめて前納しました。13万円なり。く〜。

築地で働いているとたしかに家での食費は浮きます。ここ2週間で買った動物性たんぱくはわずかに卵とバターだけ。あとはおみやげに持って帰った魚を食って十分生きてます。
でも逆にお昼ごはんに金がかかるようになりました。定食屋とかで食べるわけですから、毎日続くとばかになりません。今日はかの有名な築地の吉野家で食べましたが、特別価格なので牛丼大盛り・卵・お新香を食べたら790円でした。吉野家で790円!
弁当を作っていこうかと思いましたが、お昼はいつも配達がひと段落したところでその場所で食べますので、場内とも街中とも限らない。一日弁当を持ち歩いて働くわけにもいかないのでやっぱり外食になります。だいいち弁当を作る余力もない。
ということで食費はかさみ、けっこうな負担になります。かろうじて家から麦茶を持っていってジュースは買わないようにしていますが、焼け石に水。

時間がないから無駄づかいするヒマはないんですが、それでもけっこうお金はあっという間に出ていくもんなんですね。更新料とか年金とかはしかたないとしても、お昼代とかの削ろうと思えば削れるところに出費が増えて、逆にビリヤードとかの余暇に金を費やすことができないのは、ちょっとシャクです。

でも、今日はちょっとうれしい出費がありました。加工場で使う用のマイ包丁を買ったのです。
加工場では共用の包丁というのはあまりなく、みんな自分の包丁を使っています。そんなに高くなくていいから包丁を買ってこいと言われたので、昼休みに場内の包丁屋を覗いて歩きました。もちろん買う気はなく5万円の高級包丁を手に取って「すげー」と見ていたら包丁屋のおやじが「そんなにいいのは必要ないよ!兄ちゃん魚屋?初めて?おろし用?じゃあコレコレ!この大きさならなんでもOKだよ!高いのはもっと上達してから買いな!」と勝手にファースト包丁を決めてくれました。
初めてのマイ和包丁、9500円なり。高くはないが、安くもないぞ。土曜は配送の仕事で一日が終わり、包丁はいまのところまだ封も開けずに加工場の包丁置き場に置いてあります。でもこれを立派に使いこなせるようになることを想像すると楽しくなる。ちょっとうれしい9500円の出費なのでした。

嗚呼、青春の日々

2004/6/13

車を処分することにした。実家を出てからはめっきり乗る機会が減り、このところはほとんど実家の駐車場に置きっぱなしだった。駐車場代はかからないけれど、所有しているだけで2年に1度の車検と毎年の自動車税、年に10万近くは維持費がかかるのだから、今やこれ以上ただ置いておくこともできない。
8年前、大学2年のはじめのころ、汗水たらして35万で買った中古のフェスティバ。平成3年式で今年で御年13歳。ボロだけどまだ乗れるからオークションに出そうと思ったけど、同じくらいの年季の同型車がことごとく入札されずにいるのを見てあきらめた。廃車にするにしても金を取られるのはいやだからいろいろ探したら、引き取ってくれる上にいくらか金もくれるかもしれないという太っ腹な自動車屋が見つかったので、そこに持っていくことにした。

夕方、実家に車を取りに行った。車内のいらないものを整理しようとトランクを開けると、実にいろんなものが出てきた。
インラインスケートが2足。1足は昔の友だちのものが、まだそのまま積んであった。よく夜中の代々木公園にみんなで車で行って、からっぽの駐車場でくるくるとスケートやスケボーをしたもんだ。
渋谷区の救急病院の一覧表。夜中に高熱を出した友人からSOSを受けて車で病院に搬送することなんかが何度かあったもんだから、あらかじめ備え付けてあった。ぼくの車は友だち連中の間で救急車でもあったのだ。当時は自分の車なんて持ってる人はいなかった。
硬球を模したゴムボール。もとは誰のものだっただろうか。あるときバイトの明けた後にみんなで海に行こうということになり、ぼくの車で茅ヶ崎の海岸に行った。夜明けの砂浜でそのボールで、やたらめったらにキャッチボールをした。
バイトの後だけでなく、前にも海に行った記憶がある。みんなでも行ったし、一人でも行った。夏でも冬でも行った。むしろ夏に泳ぎに行ったことより、それ以外の季節にただ海を見に行ったことのほうが多かった気がする。要するに、とにかくぼくらは車で遠くに行きたかったのだ。車で行く遠いところといえば、思いつくのは海だったのだ。

そんなガラクタをぽいぽいゴミ袋に捨てた。トランクには洗車グッズもたくさんあった。車を買った当初はうれしくて、洗車のマニュアル本まで買って毎週ぴかぴかに磨いた。すぐにめんどうになって雨ざらしのままになったけど。
せっかくだから最後に洗車をしよう。値段をつけられるなら、きれいなほうがいいからね。
恥ずかしい話だが、ガソリンスタンドの洗車機以外で自分で車を洗うのは実に5年ぶりくらいなもんだ。すっかり手順も忘れてしまったし、時間もなかったので、ワックスはあきらめてシャンプーだけかけることにした。
実家の駐車場は杏の木の下にあるから、置きっぱなしの車の上には花から実から葉まで、杏の木の季節がまるごとひとつ車の上に積もっていてなかなか落ちなかった。やっとのことでそれらの杏のカスを水で洗い流しても、長いこと雨ざらしになっていた車のアカは落ちずに、逆にまだらになって前より汚くなった。

あたりまえだ。ぼくはこの車でいろんなところに行ったのだ。そう簡単に、洗い流されてたまるものか。

記念に、というほどの思いを込めたわけでもなく洗い始めたのに、カーシャンプーの泡を流して水をふき取ってもなお残る車の汚れがいとおしくて、洗車しているうちにぼくはなんだか感傷的な気分になってきてしまった。

けっきょく車はきれいにならずに、だいたいのゴミが落ちたところで洗車を終え、車に乗って自動車屋へ向かった。自動車屋はやたらと遠く、常磐道の柏ICの近く。練馬から外環に乗ることにした。
ガラクタを整理した車は、なんだか少し軽くなったようだ。最近は魚屋の大きなトラックに乗っているせいか、小さなぼくの車がものすごくきびきびと運転しやすいように思えた。
こんなに元気に走るのに、手放さないといけないのはやはり悲しい。気がつくと周りの友だちはみな立派な外車なんかを乗り回すようになっていたけど、ぼくにとってはこの車が今でもやっぱり最高の乗り心地だ。
山手通りを北上して練馬へ向かう。道が少し混んでいたけど、ちょうどよかった。むかし聴いた音楽をかけながら行こうと思った。ガラクタを捨ててからっぽになった車の中で、カセットテープだけ残してあった。CDもMDもない、ラジオとカセットだけのカーステレオ。会社に入るころからぼくは車に乗ることも音楽を聴くこともあまりなくなったから、車の中のカセットはそっくり当時のままのラインナップだった。
エアロスミス。ガンズ。なつかしい。渋滞で車はゆっくり進んでいるけど、高速にでも乗っていればドライブにはぴったりの能天気な曲だ。車のグローブボックスには、当時の音楽がそのまま残っていた。いや、この車には、当時のぼくがそのまま詰まっていた。

この車で本当にどこまでも行った。冬の夜中に突然雪が見たくなり、思い立って新潟まで行ったこともある。高速の出口で料金に目を丸くして、帰りはチェーンも巻かずに下道で帰った。東京に着いたらすっかり朝だった。バカなことをしたもんだ。
でも、いい思い出だ。車にまつわる思い出はいい思い出ばかりで、悪い思い出なんてひとつもない。転回禁止の道でUターンして、振り向いたら交番で切符を切られたことなんかも、今となれば笑い話だ。

練馬に着いた。昔の曲を聴きながら走っていたら、だんだん手放すのが惜しくなってきた。わざとまちがえて関越に乗って、また新潟にでも行ってしまおうかと一瞬思った。
でもそれはできない。この車を手放すのは決まったことだ。思い出は、いつか捨てないといけないこともある。

外環に乗った。混んでいればいいのに、という一縷の望みもむなしく、高速はガラガラに空いていた。ぼくは左の車線を80キロぴったりで走った。
キャンバストップを開けた。大きく開く屋根はこのボロい車の中で一番の売りだ。女の子を乗せて、頃合いを見計らってぼくが車の屋根を開けると、みんな驚いた。屋根から星なんかが見えれば最高だ。星じゃなくても、太陽でもいい。東京タワーでもいい。なんなら今日みたいな曇り空だって、とにかく風が入れば気分がよかったし、女の子は喜んだ。
カーステからはミスチル。ひどくなつかしい。好きな子ができれば決まって、この車に乗せこんな局を聴きながら走った。うまくいった恋もうまくいかなかった恋も、この曲と、この車とともにあった。ぼくはもうこの車で女の子を口説くことはないし、今のぼくにはそんな時間もないのだ。
ミスチルの、タイトルは忘れたけど、最後のドライブに君を乗せて走る、みたいな内容の曲がやたらと胸にしみてしゃくだ。開けっ放しのキャンバストップから入る高速の風が冷たくて涙が出そうになったから、カセットをスピッツのアルバムに替えた。がらがらの高速道路だから遠慮せずに大声で歌いながら走った。歌詞はすっかり忘れていたけれど、できるかぎり大声で歌いながら走った。

車は柏に着いた。インターを降りてから自動車屋までの道は、きちんと調べておいたわけじゃないのに、こんなときばかりは適当に走っても正しい道をたどっている。もう、別れのときだということだろう。
ほどなく自動車屋に着いた。もう真っ暗だった。ぼくはカセットテープを取り出してかばんにしまい、電話をかけた。若い兄ちゃんが出てきて車に乗り、自動車屋の駐車場の中で少し動かしてエンジンやギアやエアコンやパワーウインドウなんかの具合をチェックした。この車はいつもぼくが運転していたから、ほかの人が運転しているのをわきで見ているのは不思議な気分だった。
兄ちゃんは車を降りて、携帯のライトで照らしながらごくごく簡単に外観を見た。「動作に問題はありませんね。でもボディに傷が多いので・・・2000円くらいで」と彼は言った。洗車なんて、なんの意味もなかったわけだ。
「高速で来たんですよ」
ぼくはやっとの思いで言った。
「じゃあ・・・4000円で」
ぼくの気迫に押されたか、しばらく考えて彼は言った。
かくして、ぼくの青春の思い出には4000円の値段がついた。

事務所に入り、ぼくはろくに読まずに書類にハンコを押した。早く帰りたかった。
帰り道は最寄り駅まで兄ちゃんが、きょう270万で下取りしたばかりというま新しい大きな車で送ってくれた。
ぼくは「あの車、売れるんですか?いくらで売るんですか?」と、ぶしつけな質問をした。兄ちゃんは困ったような顔をして、「うーん微妙ですね」と言った。「3〜4万くらい。でも売れるかどうか・・・。売れなきゃ解体して部品取りと鉄クズ屋ですね」

できれば、売れなければいい。そのまま誰も乗せることなく、クズになって朽ち果てればいい。
ぼくの青春。

築地の人々 業界人編

2004/6/14

築地市場での中には、みなさんが想像するイメージどおりの「魚屋さん」って感じの人がたくさん働いています。前述のように女性もいる、外国人も含めた観光客もいっぱいいる。でもやっぱり一番多いのは前かけにねじりはちまき、みたいな男衆です。ザ・魚屋。
どう見てもヤクザ、もしくは悪役商会みたいなルックスの人もいます。昼過ぎになると、朝はマグロが並んで売られていた店のショーテーブルの上に、そういう人がごろりと転がって寝ていたりする。最初はいちいち驚いていましたが、だんだん慣れてくるから不思議なものです。

そんな中でも、広い場内でいやでも目に付いてくるキャラクターというのはあるわけで。
最近すごく気になるのが、海坊主みたいな大男です。つるっぱげの頭のてっぺんに、天使の輪みたいな小さなねじりはちまきが載っています。ねじりはちまきの直径、20センチくらい?あれはどうやって頭に乗っかっているんだろう。マジックテープか接着剤かなんかでくっつけているんでしょうか。それともあれは髪の毛?彼はやたらと薄着で、基本がぴちぴちのタンクトップです。最近暑くなってきたので、とうとう上半身裸のうえに前かけといういでたちになりました。背中全開。こんな裸にエプロンはいやだ。ぼくは彼を「リアル花男」と読んでいます。


そんな、もはや人間ではないような人もいるにはいますが、うちの会社で働いている人はわりと普通の人が多く、むやみやたらに職人気質な人もそう多くなく、だいぶ働きやすい環境といえます。
社長も先代の跡を継いだばかりの3代目で若く、社長以下社員もバイトも若い人が多くいます。

朝いちばんのスーパーへの荷出しの仕事をいっしょにしている一人ココリコさんは、まだ26で茶髪にピアスの今風の兄ちゃんのいでたち。ぼくより1ヶ月くらい先に入ったアルバイトです。
朝はいつも眠そうに仕事をしていますが、荷物の仕分けがひと段落ついて山と積み上げられたカツオの発泡スチロール箱の裏なんかに隠れてタバコを吸いに行くときはやたらと元気になり、よくしゃべります。以前になんとラーメン屋をやっていたそうで、彼はリアル店長なのです。ぼくも家でラーメンを作るのが好きだという話はしましたが、さすがにあだ名が店長だということは打ち明けられませんでした。

スーパーへの出荷が終わるとホテルや飲食店への配達です。ぼくが配達でいっしょについて回っている社員のウィルス・ブルースさんは、一見すると市場の人には見えません。40すぎの、音楽プロデューサーといった感じのやせぎすの渋いヒゲボウズのおじさんです。話を聞くとなるほど、学生時代はバンドをやっていてミュージシャンを目指し、その後はアパレル・広告代理店勤務などを経て、どういうわけだか2年前にこの会社にやってきたという異例の経歴の持ち主なのです。ぼくらは異例の経歴コンビなわけです。
仕事はきっちりですが変に魚屋くさいところはなく、仕事の教え方も上手で頼りになります。

最初の3週間はウィルス・ブルースさんとともに働いて配達の基本的なことを教わりましたが、来週からは社員のバカモトさんについて別の地域で配達することになっています。
バカモトさんは、前の会社の直属の上司で日記にも頻出したバカさんにうり2つ!年が30半ばくらいでバカさんとはだいぶ離れていますが、それ以外は顔も声も動きも性格も実にそっくりです。ぼくは初日にバカモトさんを見て、思わず兄弟かと思って名前を聞きました。
名前が違うので親戚ではなかったようですが、あの二人を並べて「彼らは兄弟です」と言えば100人が100人信じると思います。こんなに見事な他人の空似というのも珍しい。世の中には自分にそっくりな人が2人いるなんてことを言いますが、間違いなく彼らはお互いにその運命の2人のうちの一人です。写真を撮って前の会社の人に見せたいです。
ただ性格で少し違うのは、バカさんが意外に潔癖なところがあって風俗の話なんかはめったにしなかったのに対し、バカモトさんは一人ココリコさんいわく「男が引くくらいエロい」ということ。この前うなぎの肝串をもう少し小さい串に刺してくれないかと言った取引先に対し、「い〜じゃないすかそれくらい大きいほうが、精力つきますよ!もう一人くらいお子さん作りましょうよ!ビンビン!」とか言っていました。まあ、そのへんの対照も兄弟っぽいといっていえないこともないでしょう。


最後のバカモトさんの話は単に似ているというだけなのでだいぶ「業界人」というテーマからは離れてきましたが、こんな環境の下で、ぼくは毎日楽しく(?)働いているわけです。

時は流れる、そして積み重なるのか

2004/6/15

配達の仕事の最中には、トラックのラジオを聴きます。会社のトラックのカーステにはAMラジオしかついていないので、AMラジオを聴くよりほかありません。
昼のAMラジオ、最近聴いたことありますか?選曲がものすごく古いです。これまでに聴いた一番新しい曲が「渚にまつわるエトセトラ」です。
よく「80年代特集」なんていって昔の曲をかけていますが、そうでなくてもいつも古い曲ばかりです。それどころか「夏になるとこの曲を思い出します」とかいうリクエストにのせて榊原郁恵「夏のお嬢さん」を流したり、「大工の棟梁をしていた父が大好きな曲です。父は今年で80歳になります」とかいうリクエストにのせて石原裕次郎「わが人生に悔いなし」を普通にかけていますので、ひょっとするとAMラジオにおいて「80年代特集」というのは「最新ヒットチャート」という意味なのかもしれません。
AMラジオから流れる大昔の曲を聴きながら渋滞する都内の道を走っていると、なんだか自分が今いる時間の感覚がおかしくなってきます。

時間の感覚といえば、5月終わりからバイトを始め、早いものでもう半月になります。会社を辞めてからのんびりした4・5月の2ヶ月間はけっこう長く感じたものだけれど、この半月はあっという間に過ぎました。朝と夜にバイトをかけもちしていると、一日はあっという間です。
時がたつのが早いというのは、時間を濃密に過ごしている証拠で、いいことなのでしょうか。だといいのだけれど。そうなのか、あまり自信はありません。
なんせ昼間は配達ばっかり。たまに配達が早く片付くと魚の加工にたずさわれますが、割合でいうと全部の仕事のうちの1割くらいでしょうか。そしてたまに加工場に入っても、仕事の8割は魚の骨抜きです。せっかく買ったマイ包丁は、まだ20分くらいしか握ったことがなく、加工場の乾燥機の中で眠っています。
配達では、要領がいいとお世辞をいわれますが、複雑な気分です。来週からはさらに配達の量の多いルートに回るらしく着々と配達要員として成長していますが、それってどうなんでしょう。
夜のバイトにいたっては、店主(その店では店長ではなく店主といいます)からは「昼のホールの中心になってほしい」と言われました。ぼかぁ夜のキッチンで応募したんですけど。裏じゃないか。裏は必ずしも真ならず。
今じゃ家でごはんを作る時間もありませんので、あにはからんや、ここ最近で最も料理から遠ざかっています。

朝と夜で2つのバイトという生活も、やってみればなんとかなるもんで、今のところ朝4時に起きて一日中働いて夜中の1時に寝るという毎日にもしがみついています。が、こうも包丁から遠ざかる生活をしていると、何かを得るどころか時間を猛烈な勢いで売っているだけなのではないかという気もしてきます。

近ごろ、料理の学校に行こうかなという考えも出てきました。配達で回るホテルの料理人の仕事を見ていると、プロの仕事の雰囲気を肌で感じます。いっぽうで、たまに加工場に入って包丁を握ったりすると、やっぱり自分には基礎がないなあと思います。学生時代のキッチンのバイトなんてのは組み立てに毛が生えたようなもんだったし、家で自分のごはんを作るくらいはできても、金をとってお客さんに料理を出すのとは違う次元なのです。
それは前々から感じていたのできちんとした技術を身につけられるバイトを選んだのですが、どうも思惑と違った方向に進んでいるし、どだいその思惑が甘すぎたのかなあとも。学校で学ぶというのはぼくにとって性に合うやりかただと思うので、腰を据えて勉強してみようかなと真剣に考えています。

とはいえ、学校に行くにも金がかかるので働かないといけない。時間もかかるのでバイトは調整しないといけない。しかし夜のバイトの採用時に雇用保険の「早期再就職支援金」の申請をしているので審査の結果がでるまで(1〜2ヶ月くらい)はやめるわけにはいかない。なによりまだ始めたばっかりなので、中途半端に投げ出してしまうのはよくない。何事も1ヶ月は続けてみないと得るものも得られないからね。

というわけで、いろいろ思うところはありますが、しばらくはこのまま働き続けてみます。

築地から見る日本の経済@

2004/6/16

働き始めたばかりのころは市場の人の多さにびっくりしました。でも慣れてくると、いつもむやみやたらに混雑しているわけではなく、人や荷物の多い少ないにも波があることがだんだんわかってきます。築地の混雑具合は魚の取引量とイコールで、魚の取引量はつまりスーパーや飲食店の客の入り具合と直結します。したがって週末にかけてはいつもより仕事が忙しくなるのです。また月曜も意外と忙しい。日曜が休市だからというのもありますが、家で過ごす週末に疲れたサラリーマンが月曜に飲みに行くからなんですって。
いっぽう、週の真ん中の水曜日はヒマ。隔週で市場も休みになるくらいで、水曜日は築地も取引量が少なく静かです。会社員時代はノー残業デーだったため水曜といえば飲みに行く日というイメージがありましたが、世間的には水曜の消費活動は停滞するのです。
また、市場の混雑と飲食店の混雑がつながっているだけでなく、その間を結ぶ道路にも関係性がみられます。築地の周りはオフィス街なので土曜はもちろん道が空いていますが、それ以外は市場が混んでいるときは道路も混んでいて、市場がヒマなときは道路も混んでいるような気がします。それどころか、市場がヒマで道路が空いているときには夜のバイトもヒマなものです。
世の中の景気というのは、ぐるりとひとつにつながっているのだなあと思いました。

景気ということでいえば、バブル後に不況の時代を迎え、築地市場の取引高はピークの3分の1にまで落ち込んだと聞きます。「仕事は慣れたかい」ときく年配の社員に「忙しくて大変ですね」と答えると、きまって「昔はこんなもんじゃなかったよ、今はすっかり売り上げが減っちまってさ」と言います。
もう少しミクロなスパンでみても、今年のゴールデンウィークのころは少し忙しかったらしいのですが、ちょどぼくが働き始めたころから店はヒマになってきて、最近はどんどん仕事の量が減ってきています。日本の景気の回復はまだまだ先なのです。


それにしても取扱高がピークの3分の1というのは尋常じゃないですよね。売り上げの減少に伴って市場の規模も3分の1になってもおかしくないわけです。
どこかノスタルジックな活気に溢れた築地市場。今のところは3分の1にまではなってはいませんが、いずれはそんな時代がくるかもしれません。

魚の仲卸の会社で働きそれをホテルや飲食店に届ける仕事をしていると、魚は我々の口に入るまでの間に実に多くの業者を経ていることがわかります。
まず産地でとれた魚を卸会社(「荷受け」といいます)が仕入れて市場でわれわれ仲卸に売ります。仲卸は場内の店舗で買出しに来た人に売ったり、うちの会社のように加工して取引先の注文に応じて配達したりしています。つまりほとんどの魚は必ず「荷受け」「仲卸」という中間業者を経ているのです。
また仲卸はすべての注文に自力で対応しているわけではなく得手不得手があるようで、別の仲卸から商品を仕入れることも多くあります。仲卸のなかにはエビ専門とかボイルタコ専門なんてところがあります。うちはそういうものはそういうところから買ってお客さんのところに届けます。
またスーパーなどにはうちが直接配達するのではなく、ぼくらが「茶屋」(名前の由来は不明)と呼ばれる荷物置き場に運び、配送業者の手を経てスーパーに運ばれます。
もちろん中間業者の数は消費者の口に入るときの値段につながります。たとえばうちはアナゴを2軒となりの店からキロ2200円で仕入れてレストランに2800円で売ったりしています。もちろんアナゴ屋はアナゴをもっと安い値段で仕入れてうちに2200円で売っているわけですし、取引先は仕入れ値の2800円に自分のところの取り分を乗せて調理してテーブルに並べているわけです。あくまでキロ単位の話であって実際の価格がそこまで大きく変わってくるわけではないのですが、中間業者の数が最終価格に直結していることが実感できるひとコマです。
取扱高が3分の1になったといっても、不景気と食生活の変化のせいで日本人の魚介類の消費量が3分の1になったというわけではもちろんなく、大手スーパーや飲食チェーンが規模を生かして中間業者を介さない産地直送に近い流通経路を整えつつある結果でもあるのでしょう。質・価格ともに競争力の強い産直の商品が増えていく流れが進んでいくとすれば、築地の市場で営業している業者には相当な企業努力が必要になってくるのではないでしょうか。

また流通経路のスリム化だけでなく、業務の進め方そのものについても変革が求められるでしょう。
商品が配送されるまでの経緯を簡単に説明します。
まず取引先Aホテルからの、たとえば「メゴチを20本、皮と頭を取った状態で」という注文が入るとします。すると受注担当者はその商品に貼る札を手書きで作ります。「Aホテル・メゴチ20本(皮ひき、△とり)」ってな具合です。その札を見て加工担当者はメゴチの頭取り・皮ひきを行い袋に入れて商品にして札を貼ります。
ぼくらは商品に貼られた札を見て自分の担当先の荷物を集め、配送先への納品伝票の下書きをします。伝票には品ごとに「数量×単価」が必要ですが、魚は一匹一匹重さが違いますから、この場合の数量は「20本」ではなく加工した20本の総重量の「1.0キロ」とかです。また単価は毎日の仕入状況によって変わります。
担当者が札にそれらを書き加えてくれていればいいけど、そうじゃない場合も多く、そうなるといちいち加工した人に目方を聞き、仕入れた人に売値を聞かないといけません。面倒なことに、メゴチの重量がわかる加工場と売値がわかる店舗と仕分けの作業をする場所は離れていますので、伝票を作成するためにあちこちを駆け回り、値段や目方を知っている人のご機嫌をうかがいながら伝票を作っていく必要があります。(忙しくて向こうも気が立っているので、なかなか教えてくれなかったりします。聞かれるのがいやなら初めから書いとけって話です。)
また全ての数量・単価がわかったあとには、おねえさんがたのご機嫌を伺いながら伝票の下書きを提出します。おねえさんがたは、いつの機械やねん!とつっこみたくなるようなOS不明のマイコンで伝票をパンチします。
これが、すべての情報をDB上で共有し、モバイルでアクセスできるようにしたら、どんなに業務は効率化することでしょう。受注をワークフロー上でコントロールし、仕入れ・加工の各段階で担当者が必要な情報をモバイルからDBに追加していく。配送担当者は仕分けと検品だけする。すべての商品がそろったらDBに基づき伝票が自動作成される。
ま、働き初めて3週間の素人考えなんですが、それが実現できればたぶん人件費は半分くらいですむんじゃないでしょうか。その何倍もの設備投資がかかるでしょうけどね。

そんな、流通のスリム化や業務の効率化でコストを下げ品質を上げるというお題目は、当然プロの人も考えていることなのでしょうが、いまのところ魚市場においては理想とは遠いといえます。たぶん魚介類だけでなく、農産物・畜産物などにおいても似たような状況なのではないでしょうか。またプロも考えても、古くからの商習慣や新しい設備投資の問題なんかに阻まれて実現できずにいるのかもしれません。

でもこのご時世ですから、すべての売り手は少しでも安く売ることを目指さねば生き残れないわけです。パソコンしかり、車しかり、あらゆる産業において上流から下流までの流通経路と業務形態をスリム化して中間コストを削減する動きがみられます。築地市場においても、それは例外ではないでしょう。魚を加工するという作業については必ず人の手が介在しますが、それ以外のコストについては削減が迫られるはずです。

おりしも、築地市場は2012年には豊洲あたりへの移転することが決まっているそうです。築地で営業している業者と、市場勤務者および観光客を相手にしている周辺の商売人にとっては死活問題なので「移転断固反対」という横断幕やステッカーがいたるところにあります。
でも、築地市場は昭和10年開設。古くは日本橋にあった魚河岸が、関東大震災で被災した後に移転してできたものです。70年の時を経てボロボロになり、台車が通るのにも困難をきたすくらい段差だらけで作業効率に悪影響が出ているわけですから、しかたありません。
開設当時は日本橋という経済・文化の中心から離れて場末の築地に移ったのでしょうが、いまや築地も超一等地です。銀座まで歩いて15分、新大橋通りを隔てた向こう側は汐留の最新ビル群なのです。そんな土地を魚市場にしておくよりつぶして再開発しようと東京都が考えるのも、いたしかたないことです。

取引高が落ちこむ中でコストダウンや高付加価値化に成功した企業が残り、できない企業が振り落とされる。移転後に営業を続ける業者の数はだいぶ減るのでは、という声もあります。
今日明日の問題ではないけれど、そう遠い未来ではない2012年。築地市場の移転を契機に、東京近辺の食生活をめぐって大きな変化があるかもしれません。

築地から見る日本の経済A

2004/6/17

ぼくがアルバイトをしている会社は正社員30数名の中小企業。今年初めて新卒をひとり採用するようで、取引先を借りて魚の食事会つきの会社説明会を開いたりHPやネットで募集をしたりと社長はやっきになっています。
古い人は「社長は新し物好きだからな」なんていってあまりいい顔はしていないようでもあります。ぼくも正直、うちの会社に新卒が必要なのかしらんと少し疑問に思います。新卒採用をするかしないかというのは、ちゃんとした会社かそうじゃないかの境目のようなもので、中小の会社にとっては新卒採用にあこがれみたいなものがあるのかなあ、となんとなく思いました。

ところが、これがけっこうな数の学生がくるらしいのです。実際に、説明会や面接を経て連日何人もの学生が仕事の様子を見学に来ています。きょうなんか役員面接も終えた最終段階の男子学生が、半日体験入社みたいな感じでバカモトさんの車に同乗したそうです。

はっきり言って魚屋なんてイメージ的には3Kの極みですよ。ぼくは今はそうでもないと思いますが、就職活動中の学生レベルなら間違いなくそう思うでしょう。
でも学生たちの現実の就職状況は厳しいようです。就活のピークをとうにすぎたこの時期になっても、週に1〜2回たくさんの学生が見学にやってくるのですから。
その数は日に日に増えている気もする。そして女性が圧倒的に多い。社長が秘書的な女性を採りたかったりするのかもしれませんが、まだ内定をもらっていない女子学生がたくさんいるということに間違いはありません。そういえば前の会社でも、今年から一般職の採用はしていないそうです。

バカモトさんに同乗した男子学生は、あとでレポートを書かせたら「配達はやりたくない」と書いたそうです。正直でよいというか、そのへんがとりつくろえないからこの時期まで内定もらえないんだよというか。彼も、本当は歩いて5分のところにある電通や朝日新聞社に行きたかったのでしょう。

電通や朝日新聞社に勤めている人間がえらいとか、電通や朝日新聞社ならいい会社だから一生勤められるとは露ほども思いませんが、いずれにせよそういう会社の門は狭く、それ以外の会社の門も狭く、とにかく学生たちは苦労している様子です。

採用する会社にとっても就職する学生にとっても不景気の極み、というわけです。悪くない会社だと思うので、うちの会社にはぜひ不景気を打破する可能性を持ったいい人材を採用してもらいたいものです。こんなご時世ですが、就職活動中の学生にはぜひよく考えて自分の道を決めてほしいものです。

人生は複雑系

2004/6/18

何の因果か、築地市場は前に勤務していてこよなく愛した(?)S橋から歩いて10分ちょい。そして今の配送コースは前の仕事で担当していた地区なのです。おかげで極度に方向オンチなぼくでも大体の位置関係がわかって、なんとかトラックを運転して配達しています。
前の仕事の担当地区というのは前の会社の近辺であり、今はまさに前の会社を中心としてトラックで回っています。トラックで前の会社の前を通ることもよくあります。

きょう、前の会社の近くの信号で停車していると、目の前の横断歩道を昔の先輩が通りました。とくに仕事での絡みはなかった3こ上くらいの人。こちらはトラックの運転席だからわかりっこないし、わかったとしてもむこうがぼくのことを知っているかもあやしいものですが、汗をふきふきスーツで歩く彼を見てぼくはなんだか不思議な気持ちになりました。


ぼくは予め決められた運命というものはあまり信じませんが、あるものごととあるものごとの間の因果関係にはけっこう興味があります。たとえば、朝でかけるときに玄関で忘れ物に気づいて取りに戻ったとする。その結果乗る電車が一本遅れて、会社につくのが5分遅くなって、そうしたら朝イチでとんでもないトラブルが発生したとする。そういうことがあると、ひょっとするといつもどおり一本前の電車に乗っていたらトラブルは起こらずつつがなく一日は始まっていたのかもしれないと思い、最初の忘れ物と会社でのトラブルの間になにか因果律めいたものを感じるのです。
悪いことばかりでなく、雨宿りした軒下で運命の人に出会う、そういういいこともあるでしょう。軒下で運命の人に会ったことは今まではありませんでしたが。

そういうふうに何にも関係のない2つのできごとが始点と終点になることがあると、ぼくは「複雑系」の話をいつも思い浮かべました。
複雑系というのは、ちょっと前にはやった学問の考え方です。
たとえば葉っぱの上に一粒の水滴が落ちたとして、それがどういうルートを通って葉の上の転がり落ちるかはそのときの風・湿度・葉っぱの傾き・水の重さなど無数の要素によって決定され、100回やれば100回が違う結果になる。世の中にはひとつの式やひとつの学問で解決できない問題がたくさんあったけれど、コンピューターの発達やらなんやらで複雑な要素を一度に考察することができるようになって、新たな学問分野が開けてきている、みたいな話。
要するに「風が吹けば桶屋が儲かる」を科学的に解明する話です。ってホントか?超うろおぼえなうえ、複雑系に考えて何がどう解明されるかはわからないのですが、ぼくの忘れ物と朝イチのトラブルの間にも、関連はないように見えても予期しえない複雑ななにかがあって結びついていたのかなあとか思うわけです。


で、配達途中にすれ違った前の会社の人を見て、ぼくは自分が3ヶ月前まで彼と同じようにそこを歩いていたことを思い出しました。なんの因果か、いまぼくは会社を辞めてトラックの運転席にいる。落ちぶれたな、とかそういうことじゃなくて、短い間に全く違う境遇になって同じ場所ですれ違っていることが不思議でした。

ひょっとするとぼくにも会社で働いて、ふつうに結婚して子どもを作り、立派に勤め上げるという道もあったかもしれない。途中までそういう風に生きてきた。でも今は、そうはならずにこうして会社をやめている。前の会社のほとんどの人は、程度の差こそあれ会社で働いて、ふつうに結婚して子どもを作り、立派に勤め上げるという道を歩むわけで、どこでぼくはそのルートから外れたのだろう。
繰り返しになりますが、彼らがうらやましいわけでも自分が誇らしいわけでもなく、ただ、3ヶ月でどこに転がっているかわからない、その人生の複雑さの不思議に心を奪われたのです。

信号が青に変わり、後ろの車のけたたましいクラクションでぼくは我に返りまた車を走らせました。


葉の上の水滴がどこに転がっていくか、それが複雑な要素の絡み合いで決まるとすると、人生も葉の上に落ちた小さな水滴みたいなものだ。これからのぼくの人生も、もっともっと複雑な何かの連続でどこかに進んでいくわけだ。
どこに転がっていくのだろう。どうせなら、楽しいところに落ちていけばいいなあ。

ホテルは迷宮

2004/6/19

いまの配送先の一番の大口先は、前の会社から歩いて3分のところにある某有名ホテルです。東京オリンピックのときに建てられたというだけあって、由緒正しい感じです。というか、ボロい。客として利用する分にはわからないでしょうが、納品口から入って裏のスペースを通っていると、築地市場ほどではありませんがあちこちに古さを感じます。
そして内部は超複雑です。これまた客として利用する分にはわからないでしょうが、ホテルというのは客用スペースを中心にして周囲にその何倍もの広さの裏スペースがあり、料理をつくったり荷物を運んだりしているのです。ディズニーランドに広大な地下スペースがあるのと同様です。

某ホテルは古いだけあってそのへんの裏スペースの作りが異常に複雑です。納品は各セクションごとに行い、和食の店やら洋食の店やら寿司の店やらてんぷらの店やらに行くのですが、その位置関係がわからなくて最初は苦労しました。たとえば、てんぷらの店に行くには1階の納品口から入ってすぐのエレベーターに乗って2階に上がり、通路をぐるっと回って反対側のエレベーターに乗って1階に下りてしばらくうねうね行った突き当り、という具合。どっかにホテルの裏の地図がないかとインターネットで探したくらいです。ぼくは学生時代にホテルの配膳のバイトをしたことがあるのでその辺の事情はわかっていましたが、いざいろんなところを回るとなるとあまりに複雑で面食らいました。昔の宮殿の名残なのかな、なんて想像しました。

さすがに位置関係についてはだいぶ慣れてもきましたが、ホテルの人間関係というのもまた迷宮なのです。
料理人というのは往々にして性格が悪いもの。なんてことを言うと怒られそうですが、たしかにその傾向はあると思います。あんまり根拠はありませんが、身を粉にして人に尽くす仕事上その必要のない場面ではついつい反動が出るのでしょうか。これはサービス業にたずさわる人全般にいえることかもしれません。
なかでもホテルの人の性格の悪さは一級品です。納入業者も立派なビジネスパートナーのはずでありそれなりの敬意を払われてしかるべきだと思うのですが、実際には下働きくらいにしか思われておらず、彼らの機嫌を損ねないように仕事をするのはたいへんです。料理長に蹴られたり、ホールのお局に水をかけられたりしたなんて話もききます。このへんも昔の宮殿っぽいですね。

土曜日は、いつもいっしょに回っている社員のウィルス・ブルースさんが娘の授業参観というほほえましい理由でお休みだったため、3週間目にしてついに一人でその迷宮を回ることになりました。
幸いにして注文の量は少なく、やっかいな追加注文もなかったため、仕事は問題なくこなしました。天ぷらの人に「ハモの入っているケースがいつもと違う」と因縁をつけられ、オードブルの人に「スズキが小さい」と嫌味を言われたくらいです。ほっとしました。

最初の人当たりがものすごく悪い分、信頼を得るとものすごく人情味あふれた態度で接してくれるのも彼らの特徴。ぼくは3週間のあいだ「こういう人々にはしつこいほど礼儀正しく」を実践してきたおかげで幸いにも覚えはよかったか、「あれ、今日は一人かい」なんて声をかけてもらいいろいろと話をしました。
水をかけたという例のお局にいたっては「あたしゃ34年ここで働いてるけどねえ、○○(セクションの副料理長)なんてあたしに言わせりゃまだヒヨっ子だよ。あんたもなんだい、え、ピアスなんかしてさあ。魚屋だろ、まるでホストじゃねえか。女泣かすんじゃないよ。今まで何人オメコしたんだい?え?」とか10分くらい話につき合わされました。人情味溢れすぎです。オメコとか実際に言う人初めて見ました。再現するとマンガのセリフみたいですが誇張しているわけではなく、実際にはこれ以上にチャキチャキの意地悪ばあさんでした。

そんな具合に、少しずつ古き迷宮と宮廷料理人たちに慣れつつあるこのごろでしたが、慣れたところで来週から地区が変わります。月曜からは六本木にある最新のホテルと、そこを中心とした近辺の飲食店を回ります。これまでの地区は土地勘があったのでなんとかなりましたが、六本木はちょっとわかりません。そしてバカモトさんに連れられて来週から回るホテルの中に入ったら、これまたとびきりの迷宮で目が回りそうです。
ふう、来週も一週間がんばりましょう。

にちようび

2004/6/20

日曜日。ああ日曜日。日曜日。

日曜日ということばがこんなに甘美なものだとは知らなかった。そう感じた、果てなく続く16時間労働3時間睡眠の日々の末の日曜日。きのうは帰って本を読んでいたらいつの間にか寝てしまった。
起きたら・・・午後2時!とかいうのが5月までの日記のパターンだったが、いまやそんなことはない、日曜日でも起きたら午前5時。すっかり朝方になっているのが少々悲しくもあるが、せっかく朝早く起きたのだから、一日はフルに活用しましょう。

ということで朝から日記日記。一週間分書いて日付が追いつくと快便って感じですっきりです。皆様におかれましては、今後しばらくは「週に1〜2度まとめてアップする日記を毎日1日分ずつ読む」という閲覧形式でお付き合い願えませんでしょうか。

しかしどうなんでしょうね実際。このサイトはコンテンツも思惑と違って未完成だし、そういえば申し遅れましたがウリにしていた治験もけっきょく参加せず。(参加予定で健康診断を申し込んでいたのですが、直前に痛風になってステロイド注射を打たれて断念したのです。)
あとついでに申し遅れましたが、禁煙もHDDクラッシュのショックで断念しました。(パソコンの修理がひと段落して、さてもう一度禁煙生活に戻ろうかと思ったときに、痛風になって断念したのです。)

なんかみなさんの期待を裏切ってばかりいるようで申し訳ないです。日常のメールの返信なんかもものすごくおろそかになっていて、友だちをなくしてしまいそうです。

まあいいや、いろいろ考えてもしょうがないから。今日ぐらい、ここぐらいはのんびりさせてよ。

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