鍋物指数の謎

2004/4/24

洗濯ものを干そうとして外に出たら、ぱらりと一粒の雨。
うそだろう、と思って引き返してヤフーで天気情報を見たら、降水確率20%、洗濯指数80。
大丈夫だね、干しました。

しかし同時に、ヤフー天気に気になる情報を発見。


「鍋物指数」

東京地方4/25の鍋物指数は70。「ちり鍋・あんこう鍋はいかが」
・・・うそだろう。

「花粉指数」「紫外線指数」とかはよくわかります。「布団干し指数」「お出かけ指数」は「洗濯指数」との違いがよくわかりませんが、言いたいことはわかります。
しかして「鍋物指数」・・・天候との相関関係がいまいち想像できません。気温と反比例して冬に高くなりそうな気はするんですが、明日も70だし。夏のあいだとかどうするんでしょうか。


そこでほかの地域の鍋物指数も見てみると、だいたいわかってきました。
どうやら鍋物指数により、コメントが決まっています。

「100 すき焼きで体を温めましょう」
「90 韓国風キムチ鍋も温まりそう」
「80 味噌風味の石狩鍋はいかが?」
「70 ちり鍋・あんこう鍋はいかが」
「60 『もつ鍋』に熱燗がオススメ!」
「50 ちゃんこ鍋でおなかは一杯!」
「40 今夜はみんなで「芋煮会」!」
「30 野菜たっぷりの寄せ鍋がグー」
「20 『しゃぶしゃぶ』がおすすめ」
「10 お鍋よりもおでんがいいかも」
 
担当者の好きな鍋の順番?

まあ、単に好きな順というわけでもなく、やはり気温が低くなると鍋物指数が高くなり、体を温める鍋が勧められる傾向にあるようですね。総じて北は高くて南は低いです。
しかし宮崎県でももつ鍋に熱燗がパワーリコメンドされていたりするので、実際のところはどうだかわかりません。10で鍋を放棄してまで勧められるのが「冷やし中華」とかだったら確信するんですが。おでんも熱いからなあ。このまま行くと夏は毎日おでんしゃぶしゃぶおでんしゃぶしゃぶですよ。

あと 「芋煮」が入っている、しかも芋煮に「会」がついている、この点は注目。担当者が仙台出身である可能性が非常に高いですね。仙台出身者以外に、「芋煮会」などという単語を口にする人、しかも公共の場で広めたがるような人はいませんから。


謎の多い数値です、鍋物指数。気象庁が気象情報とともに各種生活指数も発表してるんだと思ってたんですが、どうやらそうではないようです。だれが決めているかは、いろいろ検索したんですが、全くわかりません。



そこで!
ぼくの中でひそかにブームになっている「Yahoo!知恵袋」に投稿してみました。直リン貼れるかな?

おもしろいですよYahoo知恵袋。

近所のキチガイおじさんをナントカしてほしい。毎朝自転車にのって、大声で頭で考えた妄想を叫んでいる人がいます。とても酷い内容で、天皇陛下には聞かせることができないような内容です。例えば、大声で女性器を連呼したり、ウッカリでは済まされないようなことを叫んでいます。こんなおじさんを周りの人は無視して無かったことのようにしています。このおじさんが黙り込むような社会的な制裁を加えたいのですがどうすればいいですか?予算は4600円〜5000円まです。私と母親がタッグを組んでこの難問の解決にあたります。父は無関心です

とか。

魔女の様な鼻になるのが嫌で鼻を上に向け過ぎて上に向いてしまった鼻を手術とかじゃなくて下に向ける方法はありますか?
小学校の時4〜5年間暇さえあれば凄い力で上に押し上げてました(^^;
(馬鹿と思われるかもしれませんが)
勉強中等も机に鼻を下から持ち上げるように押し上げてました(^^;

とか。

大学生の娘がコンパに夢中だが、なかにはスーフリのようなコンパがあることをキャッチしています。どうすれば、こういった会に参加しなくてすむでしょうか?気が気でなりません。門限の厳しい寮に入れれば大丈夫ですか?それでも昼の破廉恥コンパに誘われますか?

みんな脊髄の命じるままに質問しています。

はたして回答は来るでしょうか。


愛ってなんだね

2004/4/25

二日酔いで目が覚めた。服は着たまんま、電気はつけっぱなしで、いつの間にか寝てしまったらしい。

重い頭を起こそうとすると、まるで接着剤で貼り付けられたように枕から頭が離れない。

・・・ていうか起きても枕が頭から離れない??

実はガムがべったり頭についていて、枕と髪の毛が貼り付いていたのでした。ほかにも服がガムだらけ。
ズボンを脱ごうとすると、イタタタッ!すねについたガムがすね毛を!!
ガムをかんだまま寝て、布団の上の落としたらしい。しかもけっこう大量。あーあ。

とはいえ、被害はその程度。どうやって帰ったかは記憶にないのですが、寝すごすこともなくちゃんと家に帰ってるし、知らぬ間に洗濯ものまで取り込んでるのです。
そうそう、これが本来の人間の帰巣本能だよな。酔っぱらってカバンをなくしたり階段から落ちたりするのは正しい人間の姿じゃないよな。


さてさて、そんなになるまで、きのうは実は大昔の彼女と飲んでいたのですよ。
オッ。
みなさんそう思われることでしょう。
しかも彼女は、ちょうど1週間前に男にこっぴどく振られたばかりで、そうとう荒れておりました。
こいつは、オイシイ。
一般的にはそういう状況ですね。

まあ結論から言うと、ひと目見るなり「ずいぶん無職らしい格好になったわね!?」という挨拶から始まり、焼けぼっくいに火がつくということはなく、ぼくだけしこたま飲んで帰ってきたわけです。
一次会・焼肉、二次会・居酒屋の2枚のレシートを見ると、彼女がカシスグレープとディタオレンジと焼酎水割りの3杯を飲む間に、ぼくはビールを6杯と焼酎を1杯、それに焼酎ボトルを1本飲んでいます。圧倒的な勝利です。勝利なのか?


昔の彼女と仲良くしているというと、「えらいねえ」などと言われます。「当時、肉体関係はあったの」とも聞かれます。
実は、なかったんですよ。
「だから別れたあともうまくいってるんだろうね」と言われます。
そして今でも、どれだけ「おいしい状況」で二人で飲んでも、決してそういう関係になることはなく、じゃまた今度、ということになる。えらいねえ。

今回は二人のアルコールの量に圧倒的な差があったためにそのようなことにはなりえなかったわけですが、じゃあ仮に彼女も男に振られた腹いせに飲みまくってぼくのペースについてきていたらどうか・・・というと、たぶんやっぱり何もなかったと思います。ましてやもう一回やり直してみようか、ということにもなりません。


男女の間の友情とか愛情とか、そういうものについて少し考えさせられました。いまやり直そうということになりえないのに、なんで当時はつきあっていたのか。そしてなぜ別れて、なぜいま仲良く飲んでいるんだろうか。男女の間の友情は成立しないわけはないけれど、一回でもやってしまうとそれは成り立たなくなるものなのか。

「別れた後も比較的うまくいっている女の友だち」というサンプルがたった1件あるだけなので、結論も何も出ないのですが、みなさんはどうお考えでしょうか。

うなぎいぬ短信

2004/4/27

あじが安かったので「なめろう」を作ろうと思った。「なめろう」はあじとかの青魚のたたきに、しょうがやねぎを足したもの。以前におねーちゃんに作ってもらったことがあり、とてもうまかった。
作り方を調べて作ったら、やっぱりうまかった。あんまりおいしかったので自己紹介に「レシピ」というコーナーを作った。うまかったなあ。あのおねーちゃんには悪いことをした。


***


うなぎいぬは何にでも首をつっこみたがるやっかいな性質があります。

そのため、よくこのようなことになります。


恐怖!牛いたち!!



ちょっと笑ってしまったので、もう一つ作ってみました。

驚愕!マスクドいたち!!


なかなかに楽しい、ひとりと一匹、男二人暮し。

年金は、自分から払わないと払えないのだ

2004/4/28

一連の退職手続きでつくづく感じたんですが、国民年金、あれは払うほうが難しいです。義務のわりには手続きはすべて国民まかせで、強制も誘導も全くありません。
会社員が退職するときには、雇用保険・健康保険・年金の三大保険に関する手続きがあります。前の2つは黙っていても手続きが進んでいくのですが、年金だけは黙っていると黙ったまんま。払えともいわれません。
ぼくは将来公的融資を受けるときに不利になってはいけないと思い、自ら区役所に行って国民年金加入の手続きをした(正確には加入と同時に「仕事がないので免除してください」という申請をした)のですが、ほとんどの人はそんなことしないでしょうね。取り立てがあるわけじゃなし、会社員以外にとっては未納がデフォルトなのですよ、あの制度は。閣僚ごときが払っていなくとも、ガタガタ言うほどのことじゃない。

江角マキ子に端を発した年金未納問題。次から次へと未納な方々が明るみに出て大騒ぎ・・・というか、騒ぎたてた本人が払っていなかったことが分かって赤っ恥をかいたりしているので、みんなもうあまり騒がないでおこうという申し合わせムードすら漂っているように感じます。


ここまで書いて、思いました。どうなんだろう、本当にあまり騒がないでおこうという申し合わせムードなんて漂っているのだろうか。
年金未納問題に関する一連のヤフーのトピックスを見ていたら、未納な人々がぞろぞろ出てきて、菅さんが「未納3兄弟」と言い、「もしかしたら4兄弟、5兄弟かもしれない」と言ったあたりで最高に盛り上がり、案の定(?)自分が兄弟の仲間入りを果たしたあたりで、なんとなく「だれがどうなるかわからないから、もう未納の件で突っ込むのはやめておこう」というコンセンサスが政治家の間でなされ、その件に関する糾弾が減ったような気がしたんですよね。
でも、実際のところはどうだかわかりません。今の生活をしていると、世の中で何が起こっているのかちっともわからないのです。

テレビなし、新聞なし。ニュースはヤフーのトピックスだけ。
会社員時代もそれに近いものがありましたが、いちおう日経の1面は読んでいたし、電車に乗れば中吊り広告もあるし、会社に行けば世間話もお昼休みのテレビのニュースもあった。今は全く世間と向き合っていません。時事ネタに対して自信を持ってコメントなんてできやしませんて。
そろそろ、アンテナを外に向けないとね。年金問題について日記でも書こうかと考えて、たいしたことが書けないのに気づき、そう思いました。

金銭面でも、ぼちぼち活動しないといけない時期ですね。もともと退職金の分くらいはのんびりごろごろと浪費しようと思っていて、まだその分は消費しきっていないのですが、きょう家賃を払って通帳の金額がまとまって減ったのを見て、さすがに落ち着かなくなってきました。


けっきょくのところ、大多数の人は外に出ないと生きていけないのですな。引きこもりというのは、とても幸せな人種なのです。
ふつうの人は、家の中にこもっていたんじゃあお金はなくなる一方だし、日記のネタもないし、夢にも向かわない。そういう俗世的な全てから離れて引きこもっていられるというのは、ぼくがいるからうなぎいぬが一日寝ていられるのと同じように、だれかの保護と無条件の愛のおかげなのです。世の中のすべての引きこもりは、そのへんのありがたみを胆に命じて、心して引きこもること。
ぼくもここ数週間、プチ引きこもりのような体験をさせてもらいました。毎日好きな時間に寝て、起きて、ごはんを作って、ビリヤードをしたり本を読んだり。楽しかった!

でもいつのまにか、日記のネタもないし、お金がなくなっていくことへの不安が大きくなってくるし、なんだか張りがない。
そろそろ外に出ることにしましょうか。引きこもれない不幸せなぼくらにとって、なにごとも自分から動かないことには始まらないのです。

下り電車

2004/4/29

ぼくの部屋は雨戸も閉めないし、カーテンは買ってきた布に安全ピンをつけただけだから遮光性がない。こちらが寝ていようがおかまいなしに、朝になればしっかりと明るくなる。
部屋がとっくに明るくなって眠りからじょじょに引きずり出され、でもぼくは素直には起きずに目を閉じて、そのまま夢と現実の間をさまよってみる。

その心地よいたゆたいは、たいていうなぎいぬの食事の催促や近くの家の目覚ましや郵便配達の音や、そういう周囲の生活の音で中断され、はっきりと目が覚めることになるのだ。
今朝は明るすぎる部屋の明かりに、まぶたを閉じていられなくなって目が覚めた。
朝起きるのは、目的がないとおっくうだ。

体も、何時までに起きろといわれないと気が抜けるらしく、浅く長くダラダラと眠る。起こされなければいつまでも寝ているし、起こされればわりと早く目が覚めてしまうので、日によって起きる時間がめちゃくちゃになる。毎朝目覚ましをかけずに起きるのは体に悪い。
今日の起床は7時。だいぶ早い。
体内時計を調節するためには朝起きて太陽の光にあたるといいというので、ゴミ出しに行くついでに立ち止まって10秒ほど日光浴をしてみた。これでいいのか?一年で最も春ということばがふさわしい朝、いやになるくらいいい天気だった。

シャワーを浴びて、きょうは人と会う用事があるので久しぶりにヒゲを剃った。ついでに、もうぼちぼち履歴書なんかも書く機会があるだろうから、髪の毛を整え、久しぶりにワイシャツを着て、ネクタイをしめてジャケットを着て、セルフタイマーで写真を撮ってみた。
デジカメで撮った写真を見てみると、白い壁がバックで、上半身だけトリミングしてちゃんとした紙に印刷すれば立派に証明写真になりそうだ。だけど写真全体を見ると、上はスーツなのに下半身は横じまのスウェットのままで、まぬけなことこの上ない。

その写真があまりにおかしかったのか、久しぶりに締めたネクタイの感触が懐かしかったのか、なぜだかわからないけどぼくは無性に「きちんとした格好」をしてみたくなった。スウェットを脱いでスラックスを履いて、黒い靴下を引っ張りだして履いて、ベルトをしめた。
久しぶりに朝の7時30分に「きちんとした格好」をしている鏡の中の自分を見て、ぼくは満足した。うなぎいぬの小屋に向かって「どうだ」と言った。うなぎいぬは少し顔を上げ、興味なさそうにまた丸くなった。そのしぐさがしゃくに障ったので、ぼくはとうとう腕時計をして、押入れの中からカバンを出した。
「行ってくるぞ!?」
興味なさそうにうなぎいぬは寝ている。
ぼくは本当に、家を出た。

我ながら、少し滑稽だとは思ったが、なんというか朝の体操みたいなものだ。なんたって久しぶりに7時45分に「きちんとした格好」をしているのだ。10時ごろにゴミを出しに行って近くの家のおばちゃんに会ったときや、寝巻きのままスーパーに買物をしに行くときのような、気まずさがないのだ。
ぼくは意気揚々と駅に向かった。久しぶりに、井の頭線の狂ったような満員電車を体験してやろう。もう定期はないけれど、パスネットを使い、駅のホームに降り立った。久しぶりに7時50分に、「きちんとした格好」をして、駅のホームに。

ほどなく渋谷に向かう電車がきた。ぼくはホームの一番前で電車を待った。
到着した電車は、拍子抜けするほどに空いていた。
思わず腕時計を見た。
腕時計は、止まっていた。10日、10時19分2秒。はめたときに気づいていたけれど、自動巻きの腕時計はひと月の間にとっくにムーブメントが停止していた。
携帯を見た。4月29日午前7時52分。たしかに。

わけのわからないまま電車に乗り、空いたまま電車は走り出した。
学生らしきカップルが、今日は晴れてよかったねとか話をしていた。
そうか、今日は休日だ。みんなは、今日は、休日だ。

朝の井の頭線の狂ったような満員電車は、ぼくの最後の記憶の中では、とても寒い時期のことだったような気がする。
背中で満員の乗客を押してむりやり乗り込む。むりやりドアが閉まる。ぼくはドアに押し付けられ、ぼくの吐く息でガラスが曇る。ぼくのメガネも曇る。隣の人のメガネも曇っている。2駅ほどして車内の暖気になじみ、ぼくらのメガネは晴れる。外の冷たい空気に触れているドアのガラスはあいかわらず曇っていて、だれかの頭が押し付けられてついた髪の毛の油の筋が痕に残っている。
そんな記憶だ。

いまぼくはドアに押し付けられているどころか、椅子に座っている。外の空気は窓を曇らせるどころか、一年で最も春ということばがふさわしい朝だ。滑稽だ。

やがて井の頭線は渋谷に着いた。ぱらぱらと乗客が降り、ぼくもあてもなく電車を降りて改札を出た。どうにも滑稽だ。
さて、どうするかね。いっそのこと会社にまで行ってみるかね。

するとそのとき、井の頭線から銀座線への乗り換えのコンコースの飾り時計から、静かに音楽が流れ始めた。
8時の時報だ。
ぼくは立ち止まって、その懐かしい音楽を聴いた。

この音楽は、ぼくが会社に行っていたときの、ひとつのよりどころだった。
8時に銀座線に乗れば、8時半に会社に着く。それでもぼくは部内の総合職でいちばん遅い出社だったのだけれども、8時半に会社に着けばなんとなく後ろめたくなかった。
乗り換えのときにこの音楽を聴けば、「今日は間に合った」という気がしたし、8時をすぎて時計の前を通るときには、「急がなきゃ」と思った。それは、ぼくが今の家に越してきて初めて会社に行った日の朝にその音楽を聴いてからの、なんとはなしの習慣だったのだ。

立ち止まってその音楽を聴いた。初めて最初から最後まで聴いた。思ったより長い曲だった。
ぼくのみぞおちの辺りを、透明の涙が、流れた。

さて、帰るか。

引き返して井の頭線の改札をまた通り、吉祥寺行きの下り電車に乗った。朝の下り電車といえば、昔はあこがれの的だった。上り電車のドアにぎゅうぎゅうに押し付けられながら、なんであの電車はあんなに空いてるんだろうと、いつも思って眺めていた。
休日の朝の下り電車は空いていた。
でも向かいのホームの上り電車も、同じくらい空いている。

下り電車の座席に座ると、ぼくはなんだかとても眠くなってしまった。
まあいいさ、寝過ごしても吉祥寺までだ。寝過ごして、吉祥寺まで行って、折り返して帰ろう。そうしたら駅前のスーパーが開いている時間だろう。ひき肉を買って帰ろう。おいしい麻婆なすを作ろう。

アル中になるということ

2004/4/30

中島らもの「今夜、すべてのバーで」という本を読みました。主人公がアル中で入院する話。

感想よりもなによりも、作中にアル中の自己チェックテストというのが出てきます。主人公はこれをやって「2点以上が『きわめて問題多い』というテストで『12.5』点もとってしまったのだ」と苦笑いするのだが・・・ぼくもやってみたら「11.9」点!苦笑い。でいいのか?

そんなに飲んでいるつもりはないんですけどね。この本の主人公なんて、1日にウイスキー1本を17年間飲み続けたと言っているけれど、そんな!ぼくには無理ですよ。ぼくなんて毎日飲むわけじゃないし、飲まないと手が震えたりするわけじゃないし。

と思ったんですが、あくまで11.9点は11.9点。
主人公は、倒れて入院するまでに飲み始めてから17年もかかったという言い方もできる。ぼくは10年かそこらだからまだ症状として体に異変が現れてないだけかもしれません。肝臓は「沈黙の臓器」ですから。
また主人公もサラリーマン生活から抜けていつでも酒が飲める環境になってからいっそうハマったそうですし、ぼくも注意しないといけません。それに主人公が毎日1本飲めたのはあくまで彼が酒にめっぽう強かったからで、「1日1本は飲んでないから少ないほうだ」と考えるのは単なる気休め、ぼくの酒量も人よりは多いほうなのです。

酒の量はしょせん体質の違いで、体重の軽い重いだけでは健康のバロメーターにならないように、「1週間にどれくらい酒を飲むか」なんていうのはそんなに意味のある数字ではないのではないでしょうか。重視すべきは体重そのものではなくて体脂肪率や血圧などの目には見えない数字であって、酒についていうなら、ほどほどでストップできる自制心があるかないかということなのだと思います。

思えばぼくはいつもどこでも、もう飲めなくなるまで飲みたがる。そこまで酒を飲むというのはけっこうハードな行為でもあるので、体調によってはたどり着けないことも多いのだが、それでもいつも目指すは酩酊だ。ぼくは自分の家や友だちの家で飲むのが好きなのだが、それは家なら帰らなくていいからだ。幸いにして二日酔いするたちなので毎日飲むことはないが、もしもう少しアセトアルデヒドに強い体だったらやっぱり毎日1本飲んでいるかもしれない。
毎日1本は飲んでいないからといっても、いまのように酩酊に向かって飲む飲み方をするなら終着駅に着くまでが17年か30年かの違いだけで、遅かれ早かれそれはやってくる。肝硬変・肝炎といった重大な体の異変にたどり着かなくとも、もっと早くに「依存」という精神的な異変をきたす。そうすればあとはライカローリングストーン。

主人公が「35歳で死ぬ」と他人に言われ続け、その通りに35歳で倒れたことに奇妙な感慨を抱くという記述があるが、そういえばぼくも冗談で「わーっと成功して35くらいでうっかり死ぬんだよね」なんて言ってるよなあ。自意識過剰な妄言なのだけれど、気持ち悪い。
作中でも「慢性自殺」という表現があるが、酔いつぶれたがりの理由のひとつには破滅願望的なものは確かにあって、長生きなんてしなくていいやという思いは間違いなくぼくの中にある。でも、心の弱さに蝕まれて依存して破滅していくのはかっこ悪い。それに中島らもはその体験で素敵な小説を一本書いたけど、ぼくはまだ何にもしてないよ。死んでる場合じゃないよなあ。


いやあこんなことを書くつもりではなかったんですが、だんだんと真剣になってきてしまいました。「今夜、すべてのバーで」はある面では確かにアル中の悲惨さを書いたものではあるのですが、同時にどことなく滑稽であり、前向きなようですらあるのです。あの本を読んでこんなに身につまされる人というのも珍しいことでしょうし、中島らももそんなつもりで書いたのではないでしょうけど。

というのも、すべて例のチェックテストのせいなんだよなあ。
質問は答えに窮するものもあり、窮した結果「はい」にすると一気に+3点も加算されてしまったりするので、11.9点というのはちょっとマゾヒスティックにノリすぎた結果かもしれません。こんどは甘め甘めに計算してみましょう。

・・・6.6点。やっぱり「きわめて問題多い(重篤問題飲酒群)」なのでした。
顔の傷はやはり痕になって残ってしまうようです。そのほうがいいかもしれませんね。

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